中村吉利さん(インスタントグルーヴ,Vo&G) Interview[ひとSTORY]| 福岡のライブ情報検索サイト 音ナビ隊♪

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第9回

ひとSTORY

中村吉利さん(インスタントグルーヴ,Vo&G)

中村吉利さん(インスタントグルーヴ,Vo&G) 中村吉利さん(インスタントグルーヴ,Vo&G)

NHK「熱血!!オヤジバトル」第6回グランプリ受賞「中村吉利&インスタント・グルーヴ」のボーカル&ギター。ブルース人生約40数年の間、正式に所属したバンドは中学時代から約10年続けた「博多仲良会ブルースバンド」と23年続いている現在のバンド「インスタント・グルーヴ」の2つのみ。今回は福岡でブルースと言えば吉利さん、中村吉利さんのインタビューに加え、仲良会で一緒に活動していたブルースハープ奏者、中野茂樹さんからのエピソードも交えて・・・。

生いたち

福岡のど真ん中に位置する天神3丁目で、料亭を営む中村家の三男として生まれる。

音楽に関しては3歳上の長兄や2歳上の次兄の影響で流行っていた加山雄三やThe Beatles、The Venturesなどひと通り聞いたが、特別な感情を抱く事はなかった。そんな中、小学6年の時ラジオから流れて来たブルースと出会い虜になる。米のブルースシンガー&ギタリスト、ジョン・リー・フッカ―のシングル“Boom Boom”だ。「他のジャンルはファッションみたいなもので、ブラックミュージック(オ―ティス・レディング、ジェームズ・ブラウン他)だけが音楽だ!」とこの頃から既に思い始めていた早熟な11歳だった。

中学時代

西南学院中学入学。ボブ・ディランやドクター・ロスをコピーする為にギターとハーモニカを買いに行くが、フォークギターと言われウエスタンギター(サイズが一回り大きいもの)を買ってしまった。ギターはコードを始め何もかも手探りの独学で、誰かに教えてもらった事はない。

そしてすぐにB.B.キング、T・ボーン・ウォ―カ―に憧れエレキギターへ転向。最初に弾いたのはギターの音に惹かれたオ―ティス・ラッシュの“So Many Roads”。未だにこのギターの音は研究中。そしてB.B.キングのアルバム“ジャングル”に行きつく。バンドでやるのにやりやすいと言う理由でシカゴ・ブルースを中心にやっていく事に決めた。

中2の時にはこんな事もあった。米の民族音楽学者チャールズ・カイル著「アーバンブルース~都市の黒人ブルース」(南部の農家から都会へ出てきた人間がそこの中にあるJAZZなどと相まってボビ―・ブランド、B.B.キングなどの新しいスターが輩出された・・・と言った内容)をまる写しした読書感想文を提出し、「何を書いてきたんだ。もっとまともな物を書いて来い!」と先生からこっぴどく叱られる。

中学3年の時、小児麻痺により変形した左足の整形手術を受ける。(通常、複数回必要な手術が1回で済み、非常に上手くいった症例として国立病院に写真とカルテが保存されているらしい。)その影響で3年を2回する事に。その内の1年間は3カ月の入院とリハビリ生活。1人でやる事もなく、ブルース特にマディ・ウォーターズのギター、ジミー・ロジャースのアルバム“シカゴ・バウンド”や2枚組LP“シカゴ・ブルース・ゴールデン・パッケージ”(一番最初に発売されたブルースのアルバムでオムニバス形式。この中にもジミー・ロジャース、マディ・ウォーターズ、オ―ティス・ラッシュの曲が含まれる。)を繰り返し聴き、ブルース好きが決定的に。闘病生活に聴くブルースからいつにも増して癒され、心に入り込んでくる感じがした。

吉利さん曰く「ブルースは余計な音や音に媚びた所がなく、他のジャンルと違って作った部分もない。ジャズは自分には無機的に感じるが、ブルースは温もりもある。そこが好きになった理由。」それとは別にソウルのバラード(オ―ティス・レディング、サム&デイヴ、パーシ-・スレッジ)も好きになり、当時歌も歌いたくなるが声質が細い事がネックになっていた。

そんな時に音楽活動の話が出る。長兄の友人、大庭壮一さん(ラジオパーソナリティ、山笠の土居流取締)がドラム、白井俊哉さん(ジャズピアニスト白井金城氏の子息で元SHOT GUNのギター&ボーカル、哲哉さんは兄)がベース、吉利さんがボーカル、兄の友人ギター2名で「博多仲良会ブルースバンド」誕生。中洲にあった明治生命ホールで初演奏し、かなりの評判を得た。

高校時代

高校は東福岡高校へ。同級生の久保田さんがベース、ドラムは佐伯さん、ギターを白井俊哉さん、吉利さんはボーカル&ギターで「仲良会」を継続。しかし、その頃の吉利さんは今と違いブルースを歌うには声が細かったので、同級生の平井宏朋さんをボーカルに抜擢。その頃、当初ブルースの演奏をしていたSON HOUSEが川端にあったダンスホール「ヤングキラ―」に出演していた。ここは不良が集まる場所として有名で、怖くて中に入れず外の壁越しによく演奏を聴いた。鮎川誠さんに憧れ、吉利さんが唯一好きな日本人バンドはSON HOUSEだけだった。高3の時には明治生命ホールでSON HOUSEと共演をしたが、吉利さんのプレイは鮎川さんが嬉しくなるようなプレイだったと言う。と言うのは高校生でありながらプロレベルの本格的なフィーリングで、ギターだけでなく歌にも定評があったからだ。

大学時代

高校卒業後は料理学校へ行きたかったが、父の勧めで福岡大学へ入り、バンド三昧の日々。時々は当時流行っていたダンスホールへ行き、リアルタイムでジェームスブラウンやサム&デイヴの曲を聴いた。そして照和にブルースハーブの達人がいると耳に入り、中野茂樹さん(当時野多目ジャグバンド)の演奏を聴きに行く。「これはスゴい!」と「仲良会」にかけもちで加入してもらう事に。(初期のシカゴブルースではギターでなくブルースハーブがリード楽器であった。)その時の事を茂樹さんが話してくださった。「仲良会は高校の時から他とは別格の憧れのバンドで、初めて一緒に演奏した時には興奮して手が震えてしまった程。仲良会に加入し演奏できると言う事は喜びであり誇りでもあった。」そして茂樹さんにとって吉利さんはブルースの師匠となる。(ちなみに偶然にも2人は大学の同じ学部で同じクラスだったが、「仲良会」に入るまで茂樹さんは憧れの存在の吉利さんと口も聞いた事はなかったとか。)活動の中には佐世保の米軍キャンプでのライブの経験もある。「客のノリが悪くなるからブルースは演奏するな!」と言われたにもかかわらず、無視してブルースを演奏し観衆に大いにウケた。その後、NHKラジオ「午後のロータリー」出演や公開録音で雪村いづみさんのバックに抜擢され数曲演奏した事もある。他にもサディスティックミカバンドや日本のブルースバンドの草分け的存在である塩次伸二さん率いる“ウエストロードブルースバンド”とも共演をした。

大学卒業後はボーカルの平井さんが就職で抜けたのをきっかけに吉利さんがメインボーカルに。六本松の「トレイン」と言うブルースを聴かせる焼き鳥屋に入り浸ってた頃、九大の学園祭に出る話になり、実現してまたまた大好評。この時のギターは久保秀夫さん(元野多目ジャグバンド)、ドラムは深江二郎さん(元緋紋章)。これが「博多仲良会ブルースバンド」として最後のLIVEとなった。その後の10年間は飲み会がらみの「博多よござす会」として中野茂樹さんや久保秀夫さんらと不定期でステージをこなす日々を過ごしていた。

インスタント・グルーヴ

ある日山田創さん(元アップタウンオーケストラ)から紹介され、 ’90年に既に結成されていた「インスタント・グルーヴ」(現メンバー:G.&Vo. 中村吉利さん Bass 安部正宏さん Sax 出雲憲治さん Piano 前田博文さん G. 久米正浩さん Drums 長儀照幸さん〜歴代ドラマーは堀江さん→長儀さん→ミッキーさん→八ヶ代さん→現在、長儀さん)に加入。今年で23年目の歴史を持つバンド。2002年にはNHK「熱血!!オヤジバトル」でグランプリの快挙を成し遂げた。

今、思っている事、そしてこれから

「自分が上手くないのがわかっていたので、ギターもどう弾いて良いかわからず、自信がなくなる事がつい最近まであった。自分と周りの評価にギャップがあるまま、今に至っている。」と吉利さんは仰る。

最近はブルースだけに拘らず、メンバーが持ってくる曲(厳密にはブルースではないがブルージ―な曲、例えば食わず嫌いだったカーティス・メイフィールドやカーペンターズなど)をチャレンジする事が逆に新鮮で発見もあるから面白いのだとか。またバンドを長く続ける秘訣も尋ねた。「ダラダラ続けて行く事が一番意味があると思う。バンドをどこかで切り捨てるのではなく、どういう形であれ持ち続ける事が大事。80になってヨボヨボになっても(例えばメンバーもそれぞれ他のバンドをやりながらでも)たまにインスタント・グルーヴもやりながら、一生やり続けられたら良い。自然にやっていけたらそれが最高だと思っている。何であれ壊す事は簡単で続ける事は難しい。感情的な事で解散の危機は何度もあったが、メンバーの事も音楽も好きなのでどういう形でも続けて行きたいと思っているし、一生インスタント・グルーヴと思っている。自分1人でも弾き続けられるかもしれないが、やっぱり仲間が欲しい。そしてやり続けていると死ぬ間際にまた何かが見えてくるのではないかと思う。」

終わりに

わき目もふらずブルーズ一筋40年。一方、たくさんのジャンルと関わる人もいる。どちらが正解と言う事はないけれど、吉利さんからここまで一途なブルースへの思いを伺っていると羨ましい気がしてきた。しかも高校生の頃に既に世間から別格と称賛されながら、現在、驕る事なく後輩達と馴染んでいらっしゃる姿を見ると学ぶ事も多い。

普段はそんな感じで魅力的な笑顔。しかし、一旦ステージへ上がるとブルースの神様と交信してるかのように、黒人を代弁するオーラを感じる。

世代を超えて色んな方に吉利さんのそんな魂の演奏を体験していただきたい。

NHK「第6回熱血!!オヤジバトル」動画 http://www.youtube.com/watch?v=lj3Ec8CSYco

中村吉利さんのお店 “中村家” 福岡市中央区天神3-16-21 TEL092-771-3261

MARI OKUSU 2013.5.29掲載