白谷典子さん(Dee Dee's,Vo.) Interview[ひとSTORY] | 福岡のライブ情報検索サイト 音ナビ隊♪

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第8回

ひとSTORY

白谷典子さん(Dee Dee's,Vo.)

白谷典子さん(Dee Dee's,Vo.) 白谷典子さん(Dee Dee's,Vo.)

10代の頃、ロックコンテストでベスト・ドラマー賞を何度も受賞。ボーカルに転身してからは、国内外のアーティストと共演。金色のロングヘア、目鼻立ちはしっかり。でも国籍は日本。ジェルネイルを施した長い爪だが、冷凍食品は使わない主義の4児の母。どの角度から見ても色んな?が出てくるボーカリスト、大分在住の白谷典子さんに初の電話インタビューを受けていただいた。

音楽との出会い

福岡県鞍手郡宮田町(現・宮若市)出身。小さい頃から喘息がひどく運動は殆どできなかった。それにプラスして根性もなく、基礎や下積みが大嫌いな子供。小学3年~中学2年までは地域の鼓笛隊に所属。友達と会うのが楽しくて真面目に通っていた。成長するに従って小太鼓、トランペット、指揮と担当。そして小6の頃ラジオから流れてきた“The Beatles”と出会い、衝撃を受ける。同級生の3歳違いの兄が持っていた“The Beatles”のレコードを借り、“She loves you”や“Hey Jude”を繰り返し聴いた。

中学時代

宮田東中学入学。NHKの洋楽番組で“オリビア・ニュートンジョン”“KISS”“ザ・ランナウェイズ”“QUEEN”などを見て「カッコイイ!」とのめり込む。中2の時には“The Beatles”のレコードを全部買い揃えた。ベーシストになりたいと思ったが、お小遣いではベースが買えず空想で終わる。中3になり後に“くのいち”のメンバーになる幼なじみ達と音楽鑑賞会を頻繁にやって楽しんだ。

バンド活動開始

福岡県立西鞍手高校に入り、バンドをやる事だけをまずは決めた。たくさんの音楽の情報を知る為とレコードも聴けると言う理由でレコード店でバイトも始める。そしてまだ楽器の担当も決めていないバンドメンバーと楽器を触りたいと地元のスタジオへ。そこでオーナーから全員ドラムを叩かせられ、典子が一番上手に8ビートを叩く事ができたのでドラム担当に決定。ギター2人、キーボード、ベース、ボーカルの6人編成女性バンド“くのいち”が出来上がった。ちなみにドラムセットはもちろん購入できない為、「電話帳練習法」を採用。(真ん中に10円玉を置いた電話帳を上手く叩けるようになったら10円玉が動かなくなるといった練習方法)3ヶ月間バンドの練習をし、YAMAHA主催のロックコンテスト「5th L-MOTION」に応募。地区予選の長岡楽器店大会で敗退。翌年、再挑戦した“くのいち”は女性バンドでありながらファイナルの九州大会まで進んだ。その翌年もファイナル進出。その時、コンテストの余興として「ロックギャルオンステージ」が開催され、そこで見た“亜薇呼(あびこ)”の演奏と吉田啓子のギターに惹きつけられる。※この時“亜薇呼”はコンテストにエントリーされていなかったが、審査員の鮎川誠さんからの称賛と共に「特別賞」を授与される。

高校卒業後

高校卒業した年、「8th L-MOTION」九州大会ジュニア・レディス部門のファイナルへ進出。その翌年の「9th L-MOTION」九州大会ジュニア・レディス部門ではグランプリ。シニア部門も併せた総合のベストドラマー賞受賞。そしてライト・ミュージックコンテスト(略してLMC。各地のYAMAHA主催のロックコンテスト上位入賞者を集めた全国大会)まで勝ち進み、ジュニア・レディース部門のベストドラマー賞受賞。「やっと自分の好きな音楽に近づく事が出来ました。これからも自分の目指す音楽に向かって努力したいと思います。」と受賞インタビューで答えた。これは何十年経った今でも同じ気持ちのままで、まだまだ勉強しないといけないといつも思うと典子は言う。受賞した夜、審査員の打ち上げに誘われメンバーと出席。その際林立夫さん(元ティンパンアレーのドラマー。松任谷由実のサポートでも活躍。)に練習方法を聞かれ、「電話帳で練習をしている」と答えた。ベストドラマー賞受賞者がスネアドラムすら持っていない事に驚き、後日林さんが使っていたYAMAHAのドラムセット(YD9000R)が典子宅に届いたと言う。その後、色んな方面から東京へ出てくるよう誘われたり、雑誌に出た事でデビューの話も頻繁に出た。しかし見かけによらず警戒心が強く、自由を奪われるのが嫌だったのでデビューを選ぶ事はなかった。「東京へ行ってデビューする事には魅力は感じない。好きな音楽をやる事に興味があるから。」

博多デビュー

地元に戻り“くのいち”解散。通っていた専門学校は祖母の介護を理由に中退。宮田町役場に就職。次にやる事は新しいメンバー探し。まず一緒にバンドをやりたいと思ったのは数年前に見た博多のバンド“ABC(あびこ)”(“亜薇呼”からメンバーが代わり表記変更)のギター吉田啓子(現スタジオHEACON石橋啓子氏)。連絡先もわからずあちらこちらに捜索願。個人情報云々が騒がれるずいぶん前の時代、なんとか連絡が取れる。ちょうど“ABC”も就職などの理由でメンバーが脱退の為、交渉成立。 “くのいち”からはキーボードの園田美枝子、“ABC”からはもう1人ベースの4人メンバーの“NATURES”(ネーチャーズ)誕生。バンド名はボーカル&キーボードの園田美枝子の愛称「ねえちゃん」が由来。典子は宮田町での仕事が終わった後、バンドの練習に福岡市まで通った。練習が終わって仲間の会社の倉庫で仮眠したり、牛丼屋で時間をつぶし、朝5時の始発バスで宮田町に戻る生活が続く。中間市民会館でのイベント。小倉のライブハウス“in and out”などの活動など、約1年の幻のような活動の後解散。また振り出しに戻り、メンバー探し。結果的に“NATURES”のボーカル交代のような形で“ABC”のボーカル川崎江里を迎え入れ、バンド名“We men's(ウイメンズ)”誕生。「L-MOTION」九州大会ファイナル進出、ライブハウスやイベントでの活動など行い、途中で典子は脱退。その後元“FAN KLUB”のメンバーで作られた“OLIMPICS”にドラムとして加入。後に脱退。

ボ-カリスト典子誕生~マリーナ・ショウとの出会い

この頃から徐々にボーカルとして幾つかのバンドにフューチャーされる。しかし、結婚と共に音楽活動休止。数年後、昔から好きで聞いていたJAZZボーカリスト、マリーナ・ショウのLIVEが福岡のJAZZ BAR “BLACK BERRY”で開催され、観客の一人として足を運び感動。それから天神の西鉄ソラリアホテルのBAR“トランス・ブルー”で週2~3回JAZZやスタンダード、POPS、アメリカンロックを歌う事に。2度目に行ったマリーナ・ショウのLIVEでは直接挨拶ができ、BLUE NOTEで行われた3度目のLIVEでは前回会った事を覚えてくれていて仲良くなる。その夜、警固のJAZZ BAR“Jakes”でマリーナ・ショウの目の前で彼女の歌を歌い、手紙のやり取りなどの交流が始まる。

“BLACK BERRY”のマスター平田栄さんにも「JAZZの歌い方じゃないのが良い!」と可愛がられ、色んな言葉をいただいた。「自分の哲学と違う人とは一緒に演奏しちゃいけない。いくら上手い人であっても。」この言葉は今でも忘れる事はない。 ある出会いから音楽活動を支援してもらう事もあった。その時に7カ国語を操れる外国人を紹介され、英語で歌う際の発音トレーニングを1年間受ける。

デュオ活動~神楽とのユニット

夫である坂本格一さん(元インスタントグルーヴ)とピアノ&オルガンとボーカルのデュオ “DeeDee‘s”を結成。JAZZ、ソウル、ブルースをはじめヨーロピアン、アラビックまで取り入れた独自のサウンドを展開。2012年3月にはファーストアルバム“A Night In Tunisia”をリリース。並行して2011年からは神楽(神に奉納する為の舞)とJAZZ Bandを融合させた“光天”の活動開始。福岡の太宰府天満宮で開催される「七夕まつり」や熊本城での公演も行う。

人生の師匠、マリーナ・ショウ

マリーナ・ショウ、ハービー・メイスン、チャック・レイニ―達と2~3日行動すると音楽を特別に教えてもらったわけでもないのに、直後から自分の歌が変わる。食事やLIVEの次の日の彼らの会話の中で何を大切にして歌をうたっているかを教えてもらう事が多いからなのかもしれない。マリーナからは「自分で掴み取りなさい。」とも言われた。それからは1年に1度程度のマリーナの来日の際、行動を共にする。「あなたがステージに出る時からあなたの宇宙を作ってその会場全部を包み込む事が大事。その愛で包み込むように1人1人に歌いなさい。」とアドバイスをくれた。歌も生き方も一番影響されたアーティストがマリーナ・ショウなのだ。

金髪の秘密

10年前チャネラーである友人から「どこまでも派手にしなさい。前世、あなたは海外の人だった。今は外国人がホームステイをしてるようなもの。守護霊も金髪の人がついている。普段から見られてるのだから、普段から歌えるようにしておきなさい。」と助言があり、それ以来金髪がトレードマーク。「レディーGAGAも大好きで、ステージ上でもっと派手にしたい!」と野望はまだまだ続く。

LIVEに来てくださる主婦の方へ

主婦はなかなか外出もできずに自由がない。PTAの仲間には「ご主人には私が出るからって言ってLIVEへ出ておいで!」と誘う。主婦でもこんな感じで楽しく、オシャレな洋服を着たり、ネイルをしたりが出来ると言うのも見て欲しい。それでいて彼女の幸福論は「一生の中で一番幸せなのは、料理を作ったり、掃除をしたり、洗濯をしたり、普通の事が一番幸せ。それができる事に感謝している。実は外に刺激はない。自分の中に刺激を求めたら楽しい人生になるんだよ〜。」

終わりに

派手なイメージが先行して、彼女の本質を見抜くのが困難な人もいるかもしれない。フットワークの軽さも手伝って、家事も料理も魔法のように完璧にこなす。そしてLIVE活動やPTA活動にも手を抜かず100%エネルギーを使って挑む。色んな経験を積み重ね、貴重な出会いも引き寄せ、彼女の歌は日々進化していく。いつも“現在(いま)”の彼女を見続けて欲しい。

共演したミュージシャン

パヌーギブソン・ニューオーリンズジャズバンド・アルフォンソジョンソン・村上ポンタ秀一・藤山ET栄一郎・山部善次郎など多数。(敬称略)

※旧姓のまま、白谷典子の名前で音楽活動中。尚、写真左の方がマリーナ・ショウ。

eeDee‘s動画 “Contigo en la Distancia” 2012.3 at 熊本城 http://youtu.be/bFLYHRPiwE4

文:MARI OKUSU 2013.4.3掲載