藤原宏二さん&藤原さくらさん Interview[ひとSTORY] | 福岡のライブ情報検索サイト 音ナビ隊♪ Fukuoka's Concert Informatinon Search Site

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第7回

ひとSTORY

藤原宏二さん&藤原さくらさん

藤原宏二さん&藤原さくらさん 藤原宏二さん&藤原さくらさん

今、巷で話題の17歳高校生シンガー、藤原さくらさん。隣でベースを弾いているのは彼女の父、藤原宏二さん。

宏二さんは、イカ天でも話題になった「たけのうちカルテット」のベースとして活躍し、その後“Small Circle of Friends”でメジャーデビューをした経験もある。

最初に父、宏二さんのヒストリーから。

ルーツ

1962年生まれ。海の向こうで“The Beatles”がデビューした記念すべきその年に生まれる。そして福岡市立警固中学校出身。言わずと知れた記憶に残るミュージシャンを輩出している、町の真ん中の公立中学校。

音楽との出会い

フォークギターを手にとったのはその頃。当時流行っていた井上陽水や吉田拓郎などの曲を弾いて練習。同級生の山田創さん(元アップタウンオーケストラ)や彼の父からはブルースやJAZZを教えてもらい、かなり影響を受ける。米のカントリーブルースシンガーのスリーピー・ジョン・エスティスの※フィルムコンサートに行っていた渋い中学生2人組だった。(※YOU TUBE等が無い当時、LIVE映像のみを会場でコンサート形式で流していたもの。)中3の時ギターが得意な同級生に誘われ、“The Beatles”の映画観賞へ。中でもポール・マッカートニーのベースに一目惚れし、「オレ、ベースする!」と三人でバンドを組む事に。受験まっただ中でバンド開始。しかし最初どうベースを弾いて良いのかわからず、ギターの子にベースをコピーしてもらい、それを教えてもらう方法をとる。後には自分でも耳コピーができるように段々となっていく。この頃からプロになる事を疑う事はなかった。その後、ボブ・ディラン好きの粋な担任の計らいで、先生主催の卒業LIVEをベスト電器の会場で同級生を招いて開催。

高校時代

高校は福岡市立福岡商業高校(現・福翔高校)へ。入学後、バンド名“トータス・ヘッド”を結成し、コピーバンドとして開始。高2からはオリジナルも作り始め、意識が高まってきたので「まずはLIVEハウスへ出してもらおう!」とダークサイドムーン(須崎)へ交渉に行く。初日の対バンが“フルノイズ”と“ザ・ロッカ―ズ”。憧れのバンドとのあまりの差に心を打ち砕かれたLIVEハウスデビューとなる。その後、独楽夢・80‘sファクトリーなどのLIVEハウスにレギュラー出演。

福岡から東京へ

高校卒業後はプロを目指す為フリーターに。宏二さんのアパートに居候していた内田達也さんと元ザ・ロッカーズの鶴川仁美さんとバンド名“パラドックス・ターキー“で活動していた時期もある。その後内田達也さんらと“Messengers”結成。4曲入ったカセットを発売。25歳の時にちゃんとバンドがやりたくて単身東京へ。幾つかのバンドを経て“たけのうちカルテット”のベースとして加入。TBSテレビのイカ天(「三宅裕司のいかすバンド天国」)にも出演。審査員をしていた田中一郎さん(現・甲斐バンド)からもお褒めの言葉をいただいた。アマチュアながらLIVEは盛況。レコード会社から色々と話もあったが、バンドブーム終了も手伝いデビューの話は消える。時を同じくして、福岡の父の体調不良が発覚。それを機に福岡へ戻った。

再び福岡へ

29歳にして初めての就職。サラリーマン生活を始めてから高校の同級生と結婚もした。バンドは細々と続けていたが、‘92年“Small Circle of Friends”(スモール・サークル・オブ・フレンズ~ラップと女性ボーカルとバンドの形式) に加入。(キーボードは冨田謙さん。脱退後、宇多田ヒカルさんのサポートメンバー、アレンジャーとしても活躍。)福岡在住のままでメジャーデビューするが、その後東京進出の話が出る。次女のさくらさんが生まれた直後の宏二さんは家族の為福岡に残る事を決意。この時同じく福岡に残ったのはギター担当の進藤浩一さん(元FAN KLUB)だった。

その後

その後サラリーマンを辞め、妻の仕事を拡大させたスイーツのお店“spoonful & osaji”を夫婦で経営。(現在は雑貨がメインでスイーツも購入できるお店へ。)軌道に乗るまでの数年間音楽活動は封印。落ちついてきた頃徐々に活動を再開。様々なジャンルが好きな為、自分で打ち込みの録音をしたCDも作成し、“spoonful & osaji”で販売もしている。現在は自身のバンドは活動を休止し、次女のさくらさんのサポートをメインに活動。宏二さんは隣でベースを弾くだけに専念せず、さくらさんのプロデューサーやトレーナーとしての役目も担っている。「手元に置いている間に教え込めるものは教えておきたい。」近い将来旅立つ娘へ愛情と厳しさで接する。

そして娘の藤原さくらさん。現在17歳。この春から高校3年生。

始まり

昔から休みの日は姉と母は服を買いに行き、さくらさんは父と楽器店へと家族2班に分かれて行動。家には父所有のギターはあったが触る事はなく、10歳の時自分用のギターを手にした事がきっかけで遊び感覚でギターを始める。歌本を見ながら大好きなYUIを弾くのが好きだった。ある日、その歌本を見ていて「シンガーソングライター」と言う言葉を発見。

シンガーソングライターになりたい!!

母からは人生の保険として手に職を付けるよう提案もされたが、本人の気持ちは揺らぐ事はない。「一生は一回しかない。なれなくても歌手を目指したい!!」なりたい気持ちは7年経った今でも全く変わる事はない。ギターと共にその頃から曲作りも始め「イラッとしたり、そうじゃない!」を書きなぐる。感情が動く時に詞を書きたくなる衝動にかられる。10歳の時からフレーズやサビを断片的に書き溜め、詞・曲は本人が作り、父は手を出す事はない。

中学時代

中学ではスタジオ練習だけのバンドを開始。メンバーは父がベース、ドラムは父の友人の同い年の息子さん。中3の時は受験の為、勉強に専念。高校入学する春にタップもやっていたドラムの子からタップのLIVEへ誘われる。彼の頑張ってる姿を見て刺激を受け「このままくすぶってちゃダメだ。」とボーカルスクール入学を決意した。

高校入学

両親と同じく福翔高校入学。夏休みにはボーカルスクールへ入る事も決定。スクール入学前に長野の友達を訪ねて旅行へ。現地のホテルオーナーの許可で初LIVEを開催する事に。YUI、阿部真央さん等のJPOPをカバー。それまで福岡ではさくらさんがギター、お父さんがコンガを持ち、大濠公園で歌本を持って練習。父は娘の歌が上手いと思った事はなかった。身内なので客観的に判断する事はできないでいた。しかしウォーキングしている人達が足を止めて集まって来るようになる。さくらさんの中では大濠公園での経験で結構自信があった。しかし蓋を開けてみると実際LIVEには人は集まらず、お爺ちゃん達が1~2曲聴いて「頑張ってね。」と帰っていくと言う現実。「私には魅力がないんだ。」と思い、泣きながら母に電話をした。「LIVEさせていただくだけでも感謝しなきゃ。次のステージも頑張りなさい。」そしてオーナーには「何を考えて歌っているの?」と問われ、それまで歌詞の意味も何も考えずにただ歌っていた事に気づく。2度目のステージでは“The Beatles”をメインに心をこめて歌い、盛況の内に終わった。この経験はシンガーとして貴重な経験の1つになっている。

ボーカルスクール入学

ボーカルスクールVOATへ正式入学。国内に数校ある学校主催のボーカルオーディションに応募。入学して2ヶ月めにして第3次オーディションまで合格し、全国から10名余りの東京大会進出メンバーに入った。3ヶ月後の東京大会はレコード会社やプロダクション事務所がいる前での選考。その間、何度も泣きながら練習に励んだ。オーディションでは3曲の作曲が課題だったので、初めてちゃんとしたフルの曲も作成。本番では先生が勧めたノラ・ジョーンズの曲を1曲歌い、大手プロダクションの育成契約を射止めた。これを機に長期の休みを利用して東京での特別レッスンを定期的に受ける事に。ボーカルスクールへ入った事がきっかけで夢が目標へと変わっていった。

好きな音楽

音楽好きな両親はいつも車の中で“The Beatles”を聴いていた。むろん、さくらさんも聴くはめに。今は大好きな“The Beatles”も当時は「“The Beatles”はいいから、YUIの曲にかえて!」と後部座席から騒ぐ事もしばしばあった。しかし本人も父も知らない間に“The Beatles”はさくらさんの細胞に刷り込まれる形になったのではないだろうか。曲作りにその片鱗を感じると父は言う。トッド・ラングレンも好きではなかったが、先日大阪で開催されたリンゴ・スターのLIVEで生演奏を聴き感動した。ノラ・ジョーンズやJAZZも好きになり、高校で音楽の趣味の合う子はなかなか探せない。

最近の活動~夢

LIVEは2012年6月頃開始。場数を踏ませる事を目的にLIVEを半年で10本こなした。カフェ等で聴く気もなく来てる人の前での演奏をあえてチャレンジ。また親子で音楽活動するのは、いつも楽しい事ばかりではない。娘が練習でやる気が無さそうに歌う事でもあれば、喧嘩が始まる。「お父さんは仕事が終わってからの貴重な時間を使っているんだ。やるんなら真剣にやれ!」父親と音楽を一緒にするのはどんな感じかさくらさんに尋ねてみると「お父さんはずっと音楽をやってきている人なのでやってて楽しい。家族だから言い合いもあるけれど、感謝しなきゃと思う。お父さんがいなかったら、絶対やってないし。今、バンドでやれてる環境もお父さんのお陰だから、有難い。」そして高校生の娘が書いた詞を父親に見てもらいながら、2人で構想を練る。思春期の娘が嫌がる事も夢に向かっていると恥ずかしいと言ってはいられない。そうやってこの1年で完成した曲は25曲。今年中に100曲作る事が目標。「夢はBIGになる事。そうしたら色んな人に聴いてもらえる。そしてノラ・ジョーンズやインディゴ・ジャム・ユニット(日本のインストのユニット)との共演。その為に英語も今年中にペラペラになりたい!そしておばあちゃんになっても人前で歌い続けたい!」

終わりに

今、何をするのが一番楽しいのかも彼女に尋ねてみた。「歌を歌う事。嫌いな事は勉強、特に数学。」さくらさんの声は包み込んでくれるような、実年齢よりも人生の経験を感じさせるものがある。しかし、話してみるとやっぱりまだまだ可愛い17歳でもあった。
現在、親子二人三脚で夢に向かっている途中。

藤原さくら公式HP http://www.fujiwarasakura.com/

藤原宏二さんのお店 spoonful & osajiのHP http://www.spoonful-osaji.com/

文:MARI OKUSU 2013.3.27掲載