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第52回

ひとSTORY

今路メグさん[シンガーソングライター]

今路メグさん[シンガーソングライター] 今路メグさん[シンガーソングライター]

アレサ・フランクリンの歌声に感銘を受け、シンガーソングライターを志す。十代の頃から数々の大手レコード会社から声がかかるも、自分が大切にしているものは見失わない。今回は、アメリカのアポロシアターにも出演され、独特なハスキーボイスが魅力の今路メグさんにインタビュー。

音楽との出会い

熊本県生まれ。その後、福岡県古賀市にある山の麓で一人っ子として育つ。お向かいに住む三歳上のお姉さんに自転車の乗り方、裁縫、お料理等々教えてもらったが、その中の一つが「ピアノ」。4歳の誕生日プレゼントにキーボードを買ってもらい、付属の教材ビデオを1人で見て練習をした。教材をマスターした後は、おねだりしてYAMAHAのエレクトーン教室のレッスンを受け始め、中学2年まで続ける。グループレッスンでは、皆で歌ったり、即興でピアノ演奏をすることもあり、自発的に家で曲を作り、歌って録音をする5歳児に育つ。当時、作った曲は100は優に超え、親戚の集まりで披露していたこともあり、今でも家族や親戚の心に残っている名曲が数曲はある。

歌うこと

小学校の合唱コンクールでは、クラスの伴奏係だったが、先生に歌いたいと相談すると、代わりの伴奏係がいないと却下。「それなら!」と歌いながらピアノを弾くと、意外にもクラスメートから褒められた記憶がある。音楽のジャンルとしては、クラシックとJPOPが好きで、特にSPEEDがお気に入り。中学生になると宇多田ヒカル、MISIA、小柳ゆきの曲をよく口ずさんでいた。母の薦めで「TVQふるさとのど自慢」に、小柳ゆきの「あなたのキスを数えましょう」で出場し、2位を獲得。その時初めて「2番なんて悔しい!優勝したかった!」という感情が芽生えた。部活では柔道部に入部。九州大会まで進み、部長も務めた。

音楽活動開始!

中2になって、週に一度MUSICスタジオBEBOP(新宮町)で歌を習い、ロックバンドで歌う音楽活動がスタート。最初のレッスンでJPOPを歌うと、それを聴いた山本エイジ先生が驚き、「今日から洋楽オンリーで、一旦、日本語の曲は無しにしようか!」と紹介されたのが、アレサ・フランクリン。他にはソウルミュージックやR&Bのアルト気味の深い声の女性歌手の曲だった。それまでそういうジャンルは聴いたことがなく、「こんな音楽があるんだ!」と感動。「こういうのが向いてる」と助言をもらい、そこから興味が湧いてくる。小さい頃から自然にソウルミュージックやR&Bの発声をしていたらしく、毎日歌っていたSPEEDや宇多田ヒカルが、可愛げのない歌声だった原因がやっとわかった。それからは、毎日ソウルミュージックやR&B、ヒップホップなどを聴きあさり、ピアノを弾きながら歌った。また、“Catfish”という大人のバンドにコーラスで参加し、“Stand by me”だけメインで歌わせてもらい、福津海岸のライブに出演したのがライブステージデビュー。夕日の中のステージに感動し、緊張しながらも楽しかった。歌うのが好きだと再確認し、素晴らしい経験をしたという実感もあった。

目指すはプロ!

将来プロのミュージシャンになりたいと思ったのは、実はのど自慢に出場する前から。中学入学後は何かと悩み事が多い時期で、その時に聴いたジョン・レノンの“イマジン”は言語を越えて伝わる作品の素晴らしさに感動もしたが、癒されることもしばしばあった。一方、アレサ・フランクリンは、心が揺さぶられるソウルフルな声に、「歌の力って本当にスゴイ!」と感じる。そういう影響もあり、「歌で人を勇気づけられたら」と思い始めた。中学時代に大手レコード会社のオーディションを幾つか受け、かなりのところまで進んだこともある。その後、18歳の時に某コンテストで優勝し、他の大手レコード会社にもスカウトされ、メジャーデビューの話も進んだが、自作の曲が売れ筋のアレンジを施されたことにショックを受けた。歌いたい曲やスタイルも一致せず、デビューは見送る。このことで、自分がどういう音楽が好きかがわかるきっかけにはなった。

ニューヨーク

デビューの話をリセットした後、「アメリカ、ニューヨークへ行こう!」と決めた。それまで何も反対しなかった母が、この時ばかりは反対。妥協案で留学センター紹介の寮ならと手続きを進めることができた。英語も喋れず、気持ちだけでたどり着いた大都会では、指定された住所に寮はなく、重い荷物を持って呆然と立ちすくんでしまった。すると、通りかかった年配の女性が声をかけてくれて、助けてもらう。翌日、スパニッシュのクリスチャンの寮に入れたものの、オカルトっぽく何かの血が祀ってあった。怖くて1週間毎日泣いて過ごすが、観光したり、英会話スクールへ通ったり、放浪したりで3か月滞在。他にも怖い目に何度かあい、得意な柔道の技を使ったこともある。その間「アポロ・シアター」のアマチュア・ナイトに何度も通った。ゴスペルを極めている人も多く、レベルが高く、修行の必要性を感じるなど、とにかくニューヨークでは様々な刺激を受けて帰国の途に就いた。 ※アポロ・シアター:1934年創立。ニューヨーク、ハーレム地区に位置するエンターテインメント劇場。 ※アマチュア・ナイト:アマチュアの歌手やダンサーなどが出演するプロへの登竜門。スティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、ローリン・ヒルなど世界的スターを多数、輩出。

アポロ・シアター

帰国してからは自主制作CDを出し、ライブハウスはもちろん、クラブや商業施設でも歌う機会が多かった。あるコンテストの優勝特典でFMの番組を持ったが、喋るのが苦手で、期間を短縮して3ヶ月で終了させてもらう。自分の音楽を追及したかったが、メジャーデビューをしたいワケでもなく、目標をみつけきれずに思いあぐねていたところへ、ある方の後押しもあり、「アポロ・シアター」のオーディションを受けることに。20歳で再渡米。3ヶ月に一度のオーディションには何百人も並んで受付を待つ。真冬の寒い中、前日から並んで先頭から5番目を獲得。フェンスを越えて割り込む面々もいて、気がつけば40番目に。スティービー・ワンダーの曲「レイトリー」を自分でアレンジして参戦。自信はなかったが、「Good Job!」と言われて合格。その後、合格者は3~6ヶ月の間に割り振られてステージ出演となるので、一旦帰国。そして再度出演の為に、渡米。その際「ヴィレッジ・アンダーグラウンド」のオープンマイクなどのライブ出演も果たした。

上京とソロ再開

ニューヨークへ住むことも考えたが、家族のことも考え断念。音楽をちゃんと仕事にしたいと思っていたところへ、メジャーデビューの話が舞い込み、上京。バンド“ HISS! ”のVocalとして活動。2013年公開の短編映画「雫 」に楽曲「ONE」が起用された。2年後、福岡へ戻り、ソロ活動再開。2016年今路メグ名義としての初シングルでオリジナル曲「USO」をデジタルリリース。BS 12の番組エンディングテーマにも起用される。濃いR&B等よりも自分なりのポップスを表現したいと2017年1stアルバム『I like WHAT I like !!』発売。2018年2月『羽雪』配信限定リリース。

今、そしてこれから

プライベートでは2019年にベーシストSoshi(内田壮志)さんと結婚、一児の母となる。「とりまく環境が変わったことで、魅かれる音楽や歌いたい音楽が変化してきた。最近の作品はさらにナチュラルになってきて、フォークやブルースのような、作りこまずに自然な音作りをしたい。レコーディングも昔は自分でトラックも打ち込みで作ったが、生の楽器でやりたいと強く思うように。色んなものに影響を受けているが、‘60~‘70年代のソウル、ブルース、ロックが今、一番しっくりくる。ジョン・レノンやビートルズも昔より聴いていて、最初に良いと思った音楽に帰っていってる気がする。レコーディング予定としては、メンバーとして参加しているSoshiさん率いる15名の大所帯バンド「ポイズンベイビーと連絡マシーン」のアルバム制作と同時進行でソロアルバムも作成中。」変化はあるもののこれからも作品を作って歌っていきたいという気持ちは揺らぐ事はない。

インタビューを終えて

歌声の印象と違い、普段はもの静かで穏やかで、ご本人のセリフを拝借するならば、凡ミスやケガが多いという、可愛らしい雰囲気。とは言え、自分のペースや感性を大切にする芯の強さはベースに置かれていた。これからも歌いたい歌を届けていただきたい。

文:MARI OKUSU 2020.12.4掲載