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第48回

ひとSTORY

平山カンタロウ(図鑑 VO.&G.)

平山カンタロウ(図鑑 VO.&G.) 平山カンタロウ(図鑑 VO.&G.)

トヨタカローラCMソングやNHKのドラマには俳優として大抜擢。また、ドラマ主題歌でUSENインディーズチャート上位ランクイン!アーティスト名"図鑑"こと平山カンタロウさんへインタビュー。

生い立ち

長崎市生まれ。幼稚園時代、ピアノのレッスンに連れて行かれ、環境に慣れずに泣いてしまった。人の集まりが苦手な少年。昔からゴジラなどのソフトビニール製の人形を使い、自分の部屋にこもって、あたかも映画を作るかのように遊んだ。誰かが部屋に入ろうものなら、「早く出てって!」と追い出して。幼い頃は、1人で空想しながら遊ぶことがほとんどだった。

音楽との出逢い

普段、アコースティックギターを弾いて歌う父の車からは、マイケルジャクソンやサザンなど、洋楽、邦楽を問わず流れてきて、それを聴きながらいつも歌っていた。その経験が今の自分の原体験となっている。当時は積極的に人前で歌うことはなかったが、学校の音楽の授業で「歌が上手い」と褒められたのが歌を好きになったきっかけ。根本的に音楽は好きだったし、父方の曾祖父はお琴の先生だったので、音楽好きなDNAはあるのかもしれない。家にあった簡単なキーボードで“猫ふんじゃった”を弾いて遊んだ記憶もある。

音楽活動開始

中学校では、“ゆず”や“19”が流行り、興味が沸き、家にあったギターを弾き始める。腕に覚えがある父は「アルペジオ(和音を1音ずつ順番に連続的に発する演奏方法)も弾けないのか。」とあおってくることも。そういう流れで、どんどん熱が入り、学校では「上手い」とちやほやされ、さらに音楽が好きになっていった。しかも、作曲が大好きで、学校からの帰り道で一曲メロディを作り、家に着くとそのまま歌詞を書いて完成させた。中学時代に作った曲は少なくとも300は超えていただろう。また、友達の家でギターを弾いたり、パートナーを見つけて路上ライブをしに行くことも。音楽にのめり込み過ぎて、一気に成績が落ち、母にギターを取り上げられた時期もある。それでも、とにかくやり続け、その事で友達との仲が深まったり、他校の生徒とも話したり、音を出したり、交流を持つようになった。

高校時代]

高校では、メロコアバンド“Hi-STANDARD”やパンクバンド“GOING STEADY”、“モンゴル800”などのコピーバンドで文化祭に出たり、楽器店主催のスタジオライブにも参戦。また、高価な“マルチトラック・レコーダー”(多重録音用機器)を父に強請って買ってもらい、ギターや打ち込みでドラムやベースを入れ、カラオケを作った。そうやって完成曲を量産したものの、人に聴かせるのは恥ずかしく、頭の中でシミュレーションでライブをし、それだけで満足する日々。しかし、卒業間近に、父が偶然ある曲を聴き、「これ、おまえの曲か?すごいな!オーディションに出そう!」と言い出す。初応募曲は優勝は逃したものの、最終選考まで残り、この経験でかなり自信を得た。しかし、思い返せばこの事を知ってる友人はあまりいなかったかもしれない。

長崎を離れて

北九州市立大学入学。軽音サークル入部。バンドを組んで、オーディションにもチャレンジし、どんどん良い結果を手にしていった。ライブハウスも出ていたが、本音としてはライブは苦手。気持ちの良いメロディを自分の為に作っていて、曲作りで、「何を伝えたい」「何の為や誰の為」にというのはこの時はまだなかった。しかし、自分の為の曲作りは目的が弱すぎて、なかなか人に伝わらない。自信はあったが、若い時はある意味真面目だったので、他人からアドバイスをされ、試行錯誤し、自信を失ったり、人前で演奏したくなくなったり、もがき苦しむことも多かった。

“図鑑”誕生!

大学卒業間近に“カンタロウバンド”を組み、YAMAHA主催のオーディション“ミュージックレボリューション”の九州大会で優勝し、全国大会へ進んだ。元々リーダー気質ではなかったので、周りもついていけず、自分自身も嫌になり、バンド解散。ちょうど配信が流行り始めた頃でもあり、「曲作りたいだけなら家にこもって配信しよう!」1人でプロジェクト名のノリで“図鑑”スタート。“図鑑”という名前は子供の頃から何事も図鑑のように集めて並べるのが好きで、生み出す楽曲たちも図鑑のように楽しんでほしいという思いから命名。2011年、個人事務所との契約にも至る。バンドスタイルの“図鑑”もあるが、1人でも“図鑑”。20代後半はしっかり“図鑑”として勢いが出てきた時期。レコード会社からCDをリリースし、幾つもの会社とタイアップもつき、プロの仕事になってきた実感が持てて、さらに自信がついてきた。

意味のあるもの

事務所の社長を通して、「何の為にやっているか」を自然体で学び、成長も出来た。福岡県飲酒運転撲滅キャンペーンのテーマソングの話がきた時、実際に起きた悲惨な事故の事を深く考え、母親が子供を思う気持ちを書いてみようとある曲を作る。「聴いて感動した」「一番落ち込んだ時に救われた」などの感想が増えてきた。題材をもらって曲作りすることが結果的に訓練のようになったと思う。長崎出身で原爆や平和に関する歌を数曲作っているが、自分が死んでも歌が残れば、それは意味があると思う。そう思うと、曲を作ったり、歌ったりする意味が、内から外に向けてるものに自然となってきた。そうやって、今は自分の意味を理解しつつ音楽活動が出来てると思う。

変化

最初の頃と違うのは、ステージにいることじゃなく、ステージから声を発して「届ける」ことがメインになってきていること。心の置き場所が全く変わった。自分の為にやっていると、「他人から見られる」ことに集中して縮こまっていた。最近は、「俺がこの曲を歌うことでお客さんが感じるものがある」という所に焦点を置いているので、どう見られてるとか、緊張することはない。今、ライブをやる時は「一生懸命に作った意味のある曲を届けに行くぞ」という感覚でやっている。感動させようと思ってるのではなく、結果的に感動してくれているだけ。お客さんが「毎回やっぱり良い!」と言ってくれるのは一番嬉しい。その前のライブを裏切っていないし、下手したら、それより良い時間になったということだから。

30代

音楽的には30代が一番楽しいかもしれない。家族が出来たことでの変化やバンドから1人に戻った後にドラマや、“NUMBER SHOT 2018”(海の中道海浜公園で毎年開催される大規模音楽フェス)出演も叶った。バンドの時と違い、1人だと自分が動かないと進まない。結果的に色んな人に出会う。そうすると、皆、仲間になってくれて、また縁から縁へと繋がる。30代になって一番思ったのは、世の中は、縁によって動かされてるし、縁で仕事が来たり、縁で曲が出来る。縁でしかないということ。だから、色んな人に助けられて、思いもよらない経験が30代になっていきなり増えたので、忙しいが楽しい。20代は周りと比べては、負けん気を出していたが、変な気張りが無くなり、30代は「何の為に歌うか」がテーマ。しかも自然体で気負いがなくなってきた。“図鑑”は“図鑑”だし、流行りに乗ろうとかもない。むしろ個性を出すんだったら、自分が作りたい曲を作った方が、個性が出ると思う。そういう意味ではフラットになってきている。

俳優業

NHK福岡地域発ドラマ「You May Dream」や「福岡美人がゆく!」に出演。俳優をすることにより、なかなか出来ない経験をさせてもらったと思う。だからと言って俳優になりたいと言うのはない。使いたいと言う人がいるなら、機会があれば有難く受けたいとは思う。ドラマ出演で何より良かったのは、音楽と違うエンターテインメントの世界の、監督、俳優と出会えたこと。先日の東京ライブでも、以前共演した福山翔大や奈緒が駆けつけてくれた。二人と話して思うのは、同じ音楽業界からもらう助言は受け入れられない時もあるが、演劇やお笑いで学んだ人からはすんなり受け入れられる。同じエンターテインメントとして役立つ話が聞ける。こんな大事な話を聞けたなんて、何物にも代えがたいし、ラッキーだったと思う。

その他の活動

ライブではJリーグ開幕戦でのミニライブ、DRUM LOGOSでのワンマンライブ。TBSテレビ「王様のブランチ」「有田ジェネレーション」やKBC九州朝日放送「ドォーモ」のエンディングテーマなどのタイアップに起用。また、日本国内以外もタイや韓国の大型フェスにも参加。またCDに関しては、‘13年11月に1stアルバム“少年”を発売。その後UP RISE(ドリーミュージック)から“CO2”(‘14年9月)“ゴールデンシップ”(‘15年10月)“エミリー”(‘16年11月)“HIKARI”(‘18年10月)と5枚リリース。また、念願のインディーズベストを‘19年10月22日“ベスト オブ 図鑑 〜MADE IN FUKUOKA〜”発売予定。

これから

音楽の目標としては、全国どこへ行っても見に来てくれたり、場合によっては、福岡まで見に来てくれる人がもっと増えて、最終的には、長崎市の稲佐山でライブをやるのが夢。その反面、人生他にも面白いことあるんじゃないかと思ったりもする。もっと自分の隠れた能力を探ってみたり、まんべんなく自分を使ってみたい。新しい好きなものが出来たら、また音楽に活きるんじゃないかと思う。俳優も元々やる気があったわけではないけれど、機会があれば、やったことのない、変な役もやったら面白いのかも。そして、「九州に“図鑑”あり」という動きをしていきたい。1人“図鑑”はギター一本で身軽に行けるから。ライブでもっと色んなところへ行こうとも思う。まずは、ライブでお客さんと会わないと!

インタビューを終えて

自分の中だけが居場所だった恥ずかしがり屋の少年が、大空から地上を見て、曲と言う形で「伝えたいこと」を投げかけられるように音楽と共に成長。しかも、少年の魅力はこっそり忍ばせながら、、、今後も他分野の人々にもインスパイアされながら、素敵な曲を届け続けて「“図鑑”九州にあり」を実践し続けていただきたい。

文:MARI OKUSU 2019.10.7掲載