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第43回

ひとSTORY

タラス・デムチシン(クラリネット奏者・指揮者)

タラス・デムチシン タラス・デムチシン

遠いウクライナからはるばる日本・福岡へ拠点を移し、世界の平和を願いながら、地球規模で活動するクラリネット奏者・指揮者のタラス・デムチシンさんへインタビュー。

生い立ち

1984年ウクライナのリヴィフ生まれ。父は作曲家でピアニスト。母は歌手でピアノも演奏。兄はヴァイオリニスト。母が音色が好きという理由でクラリネット専攻で、7歳から11年制のウクライナの国立音楽専門学校を飛び級で10年で卒業。とは言え、両親から音楽を押し付けられることもなく、12歳までは遊びたい気持ちの方が勝り、練習は気がすすまなかった。その後、学校のコンサートオーディション(プロのオーケストラとの共演)合格を目標に毎日8時間練習し、13歳で初めてオーケストラとソロで協奏曲を演奏。この経験で次の目標がさらに見えてきた。音楽だけでなく、当然一般教科もこなすとなると、夜中二時、三時までの練習となり、自宅階下の住人からクレームのノックの音が聞こえることも。当時はウクライナが一番経済的に厳しい時代で、チェコ製の安い楽器は音程がひどく、練習量も多くせざるを得なかった。その分出来た時の気分は最高だったし、自分の名前入りの初めてのチラシに幸せを感じた。学校では毎年二回演奏試験があり、合格出来ないと居続けられない。先生も厳しく、生徒は小さい頃から海外で結果を出すなど、切磋琢磨し合う仲間だった。

大学

17歳でウクライナのミコーラ・リーセンコ音楽大学、また19歳の時に同時にドイツの音楽大学にも入学。ウクライナの先生は厳しかったが、そのお陰でクラリネットのレベルが上がり、ドイツの大学の留学が実現し、さらにレベルを上げることも出来た。コンクールに優勝し、賞金での旅行で初めて日本を訪れ、非常に気に入った。将来を考える時、クラリネットの種類の問題が常に頭をよぎった。世界的に「フランス式クラリネット」が主流で、オーストリアとドイツでは「ドイツ式クラリネット」が使われ、二つは運指が違っている。つまり、「フランス式クラリネット」を長年演奏してきたが、ドイツのオーケストラのオーディションを受けたいと思えば、やり直しをしなければならなかった。色々なアイデアの中で、大学在籍中の2007年九州交響楽団のオーディションを受け、20代の若さで首席クラリネット奏者に抜擢。(2018年退団)そして、2009年ハンスアイスラー音楽大学を首席で卒業。

指揮者

10代の頃から指揮者になるのが夢だった。「指揮者になるには、楽器をちゃんと弾けないと演奏家の気持ちがわからない。」と指揮者の先輩でもある父からのアドバイスもあったので、クラリネットを上達する為に力を注いだ。これまでに、下野竜也、秋山和慶、山下一史、ヨハネス・ヴィルトナー各氏のもとで指揮を学び、2013年より下野竜也、大河内雅彦各氏に師事。2010年チャイコフスキーの交響曲第5番で指揮者デビュー。2018年オーストリアのウィーンディヒラー指揮コンクール優勝。

また、母国語のウクライナ語はもちろん、母国近隣のポーランド語、ロシア語、モーツァルトやベートーヴェンが好きだったのでドイツ語、英語、そして日本語の六か国語を操る。今後はイタリア語とフランス語も勉強したい。指揮者にとってコミュニケーションは大事だから。

今までの活動

2011年第12回大阪国際音楽コンクール木管楽器部門グラプリ受賞。ヤマハ・オフィシャルクラリネットアーティスト。メトロポリタン東京オーケストラや日本フィルオーケストラのメンバーと共にカスタム・ウィンズ木管五重奏団所属。ヴァイオリン、クラリネット、ピアノの編成で結成されたアクアトリオのメンバーとしても、東京など活動の幅を広げる。2014年12月チーフコンダクターとして、福岡にてベートーヴェン・シンフォニエッタ立ち上げ。2017年、ベートーヴェン・シンフォニエッタとして初のCD「Love,love,love,that is the soul of genius」発売。同年12月、モーツァルト「レクイエム」とベートーヴェン「第九」を一夜で演奏。この時、来日した母もアルト歌手として参加。2019年福岡で、通常のヴァイオリンからチェロまでの弦楽器パートをクラリネットで演奏するというスタイルのオーケストラ、NSO福岡(ノンストリングスオーケストラ)を立ち上げる。

音楽家として

音楽家は「努力して、お客様に100%素晴らしい演奏をする」のが大事。何かを良くする為、例えばクラシックの音楽を福岡で盛り上げたいとか、、そして、福岡、大阪、東京、ウクライナ、ドイツ、、、色んな場所でもっと演奏活動をしたい。福岡だけだと、自分の勉強にならない。福岡と東京のお客様は雰囲気が違う。アーティストはお客様を感じて雰囲気も変わるから、音楽も変わり、別の違う演奏になる。だから、色んな所でしないと経験を積めないと思う。ベートーヴェンなど作曲家は亡くなったけれど、作曲家の命を入れた作品がずっと残っている。と言うことはその作曲家はずっと生きているという意味になる。それは素晴らしいと思う。今の時代のベートーヴェンの曲と昔のベートーヴェンの曲とは違いがある。ベートーヴェンの交響曲もバロック時代(16~1700年代)は別の楽器で演奏されていた。例えば、木管楽器もリコーダーのようにキーが無く、とても大変だった。ヴァイオリンの弦も昔は羊の腸の筋から作ったが、今はスチール製になっている。テンポも今は重く、音も大きい。昔の音程は現在より同じ音でも低かったり、音も小さくコンパクト、テンポも速く、軽い感じだった。ベートーヴェン・シンフォニエッタでは、300年前のベートーヴェンのスタイルを再現出来るよう考えて演奏している。楽譜も数百年の間に指揮者か誰かに書き直されていてオリジナルがわかりづらくなっているケースも多く、本を読んだり、美術館で本物の楽譜を探してきたことを演奏したり、CD録音したりすると、お客様は新しいベートーヴェンと感じる。そうやって、他にもモーツァルトやハイドンも。ウィーンのオーケストラはプライドを持って、昔からずっと音は変わらない。ベルリンはもっと柔軟性があるし、ロシア、アメリカ、日本と違っていて、それがまた面白い。

これから

お客様にクラシックの音楽をもっと細かく説明したり、もっと綺麗な演奏をしたい。「クラシックは難しい」と思う人が多いから、ハーモニーや天才作曲家の人生に触れて、考えて欲しい。演奏も楽譜に書いてあることだけでなく、もっと細かいニュアンスやテンポ、細かいフレーズをリハーサルで徹底して、面白い演奏をお客様に聴かせて驚いてもらうのを目指している。そうやって、福岡でクラシックを盛り上げたい。福岡は人も土地も素敵。クラシックの会場も作って欲しい。そして、世界が平和になったらと願う。その為に、音楽を通して平和に繋がるような活動を考えている。例えば、チャリティーコンサートを開催するなど。病院や、両親がいない子供や高齢者の方々に音楽で何か出来たらと思っている。そう出来たら、音楽家で生まれた意味があると思う。あとは、自分のCDや演奏を聴いて元気になって欲しい。

インタビューを終えて

インタビュー当日、偉大な作曲家や音楽の歴史についての楽しい講義をマンツーマンで聞かせていただいた。演奏はもちろん、音楽の素晴らしさや楽しさを情熱と共に言葉でも受け取っていただきたい。福岡の地でさらにクラシックが盛り上がる日をお楽しみに!

文:MARI OKUSU 2019.4.14掲載