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第40回

ひとSTORY

逆瀬川剛史さん(作曲家・ギタリスト)

逆瀬川剛史さん(作曲家・ギタリスト) 逆瀬川剛史さん(作曲家・ギタリスト)

作曲家であり、超絶技巧の演奏で、独自の世界観を創り出すギタリストとしても知られる。アジアツアーやアメリカのコンテストでの入賞など活躍の場は国内にとどまらない。今回は作曲家・ギタリストの逆瀬川剛史さんへインタビュー。

生い立ち

鹿児島県出身。小学校教師の父、ピアノ教師の母、二歳上の姉の四人家族の中で育つ。幼少期を種子島の小さな森の中で過ごす。今でも森の空気感が好きなのは、種子島で過ごした森が薄暗くて少し怖い感じがするけれど、深くて、綺麗だった、という原体験があるからだろう。

音楽との関わり

鹿児島市内の小学校へ入学。小3年の時、テレビゲームに夢中になった。ゲームのサウンドトラックに魅かれ、カセットテープに録音して何度も聴いた。中学の授業でチェコの作曲家スメタナ作「交響曲モルダウ」をレコードで聴き、「世の中にこんな音楽があるんだ!」と衝撃を受けた。その後、モルダウ、熊蜂の飛行、グリーンスリーブス他が収録されたクラシックCDを買ってもらい、三年間毎日聴く日々が続いた。

ギターとの出会い

趣味のバンドでエレキギター担当の父(NHKオヤジバトルのファイナリスト)、ピアノ教師だった母のどちらからも楽器を習う事はなかった。しかし、高1のある日、友人がアコースティックギターを弾くのを見て、「素敵な世界を持っている」と惹きつけられた。同世代が弾けるなら自分も出来るのではと、家に帰って父のエレキギターを弾いてみるとキレイな音色が出て、音楽への新しい扉が開いた感じを覚え、ノスタルジックな曲や森の風景が見えるような曲が弾けるようになれればと思い描いた。最初はポップスのコピーから始めた。当時流行っていたJポップを中心に演奏するバンドにエレキギターで参加し、文化祭に出演。毎日寝る時もギターを抱え、プロになりたい気持ちは既に芽生えていた。高3になって、エレキギターからアコースティックギターへ持ち替え夢中になって練習した。しかしそこは進学校の受験生。受験勉強のための時間を確保しながら、ギターを弾く時間も確保するというルーティンを決め、九州大学文学部に合格した。

学生時代

大学に入学してバンドサークルへ入ったが、まもなくソロでオリジナル曲をアコースティックギターで演奏したいと思うようになり、サークルからは離れた。初めて知らない人の前で演奏したのは楽器店主催のイベント。20歳の時、知り合いのバーで演奏を頼まれ、人生初の演奏料をもらった。大学3年になった時、祖父母や両親から就職について尋ねられ、「ギタリストになりたい!」と素直に伝えた。そこから家族会議が始まり、味方が誰もいない状況になった。家族を説得しようとして口論になることもあったがなかなか納得してもらえなかった。それから数年後、頑張り続けた姿を見せることで認めてもらうこととなる。とはいえ、NHK鹿児島にて4週連続で番組で曲を取り上げてもらったきっかけは、反対していた母がCDをNHKに送ってくれたことがきっかけであったりと、陰ながらサポートをしてくれたのも両親であった。

転機

2009年に自主レーベルで1stアルバム「Short Stories 生命の森」発売。自分を知らない誰かに音楽を届けたいと思う反面、本当に聴いてもらえるか半信半疑だったが、アルバムを聴いた人からの口コミがあり、フェイスブックやYouTubeで発信したことで、海外からメッセージが届いたこともあった。その成果が25歳で海外のギターメーカーとの契約(現在は契約終了)や、アジアツアーに出るきっかけとなった。翌年、上海で開催されたフランス、ウクライナなど各国からギタリストが集まってのライブイベントであるインターナショナルギターフェスティバルに日本代表として出演した。海外での全力の初演奏に良い反応がもらえた。そこから色んな事が変わっていった。プロになると決めた時から“インターナショナルな音楽活動をやる”と決めていた。“全てのことは偶然じゃない。信じて続けることが大切”。その後は中国の大河ドラマの音楽制作に関わったりと、プレイヤーとしてだけでなく、作曲家としての活動も広げていくこととなる。

作曲について

高校生時代、「どうやったら曲が作れるんだろう?」ある楽譜集に簡単な音楽理論を目にした。よく読むと新たな発見があり、今まで手癖で弾いていたのが、理論に基づいていたのを知り、腑に落ちた。その理論通りやってみると、納得がいくいい曲が出来上り、演奏することよりも、曲を創る方が断然楽しくなっていった。それからは作曲一辺倒、アイデアが出尽くした気になっても、また次に新しい曲が生まれてくる、それがとても楽しかった。高校時代のバンドでも、ポップスのオリジナル曲を披露した。その後、インストゥルメンタルを中心に作曲活動を行い、2013年に2ndアルバム「Short Stories 希望の大地」、2015年にミニアルバム「Live is beautiful」をリリースした。

ギタリストはもちろん、作曲家としても広く活動していきたい。超絶技巧を持つギタリストといわれることがあっても、全てのテクニックは曲のため。曲を書く手段はギターにこだわらない。2018年には東大寺とのコラボレーションも実現した。同年末、オリジナル曲が米国MID ATLANTIC CONTESTで入賞し、更に作曲家としてのキャリアを積んでいる。

その他の活動

2009年ギター専門誌においては次世代を担うギタリスト15名に選出された。TBS系列「感動!レジェンド動物園」シリーズのテーマ曲、中国の大河ドラマ「大唐栄耀」、「軍師連盟」の挿入曲にギタリストで参加したこともある。“音楽の無い場所に音楽を届ける”ことを活動の中心にしており、これまでに橿原神宮、太宰府天満宮、ニコライバーグマンカフェ「NOMU」、小杉放菴記念日光美術館といった数々の文化的、歴史的な場所でのコンサート、2018年には東大寺本殿での奉納演奏を行った。

これから

2018年は1年間音楽の勉強に時間を費やした。もっと力を蓄えて、国内のみならずアジア、ヨーロッパ等幅広いリスナーにアピールしていきたい。海外での演奏も国内のそれと全く変わらない。常に自分のスタイルを貫き、自分の感性を信じて進んでいきたいと思っている。英語が通じるドイツやイギリスでも今後活動してみたいが、もっと国内も大事にしながら、自然体でやっていこうと思っている。

最近はライブの数を減らしている。もちろんライブは好きだが、今は作曲家としてもっと大きくなるための勉強が必要。ピアノや弦のアレンジを学び、制作活動のレベルを上げていきたい。自分の音楽を待ってくれている人、新しく自分の音楽を聴いてくれる人のために、カバー曲ではなくオリジナル曲を楽しんでもらう土壌が創れたらと思っている。とはいえ根っこの部分はギタリスト。ライブにおいてソロギター演奏はプレイヤーのマインドがはっきり表れるので、ソロギターのスタイルを変えずに今後も続けていき、ギターの素朴な音色を楽しんでもらう機会も大切にしていきたい。新しいCDも発売予定。同時にストリーミングのApple MusicやSpotify、YouTubeなど惜しまずに発信する予定。

インタビューを終えて

インタビューの途中で、外見の柔らかさと親しみやすさとは対照的に、“音楽に対する様々な考えと強い思いを自分のタイミングで納得してこれからも表現していく”という芯の強さを感じた。優しい笑顔の中でまっすぐに輝いた瞳はしっかりと未来を見据えていたように思う。ナチュラルさと秘めた強さを併せ持つ彼の楽曲にぜひ一度出会っていただきたい。

2019.2.21掲載