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第37回

ひとSTORY

中西弾さん(バイオリニスト)

中西弾さん(バイオリニスト) 中西弾さん(バイオリニスト)

クラシックの活動も大切にしつつ、曲を生み出す深い喜びと出会い、人との触れ合いを大事にするアーティスト。今回は故郷長崎と福岡を拠点に活動中のバイオリニスト中西弾さんへインタビュー。

生い立ち

1982年生まれ。長崎県西彼杵郡長与町出身。父はピアノの調律師。母はピアノの先生。姉と妹も小さい頃からピアノに親しむ。母の夢は男の子が生まれたら、「弾(だん)」と名付けバイオリンを習わせること。実際五歳でバイオリンをスタート。初めはまともな音を出すのは難しいし、週1のレッスンを何となくこなす感じ。しかし、発表会に出るメンバーの中では褒められる方だったので、子供心に嬉しかった記憶はある。中学に入学し、毎年長崎市内で開催されるあるコンサ―トの出演が決まった。出演者はオーディション合格者のみ。多くの観客を前にした立派なステージでの演奏は、緊張はあったが、周りからも評価され、何より楽しかった。「自分って結構いけるのかな?頑張ってみようかな!」喜びと共に自信も得た。

学生時代

高校に入学し、ジャズが気になり始め、ジャズバイオリンのステファン・グラッぺリのCDをよく聴くようになった。卒業後の進路は福岡の大学と決め、福岡の先生のレッスンを受けることに。門下生仲間はどの人もレベルが高く、一度は挫折しかける。それでも、福岡教育大学音楽科芸術コース入学。在学中に第10回宮日音楽コンクールにて優秀賞を受賞。「大学に入るのが目標じゃなく、社会に出てからが大事。」と言われたりもしたが、当時はその意味はわからず、振り返ると、大学までは敷かれたレールの上をただ歩いていただけ。社会人になり、大海に投げ出された時にどこを泳ぐかは自分で決めなければならない。ある期間は色んな物を見たり、聞いたり、経験したりする中で、自分は何が好きなのかを模索する時期は誰にでもある。それが自分は30歳になるまで続いた。そして、出した答えは「曲作りが好きだ」ということ。

創作する喜び

大学卒業後は、長崎OMURA室内合奏団に所属。並行してアコーディオン、バイオリン、ピアノの編成のアコースティックのバンド活動も開始。その時1~2曲作ったのがきっかけで、曲作りの感覚と楽しさを覚えた。3年間活動し、曲作りの為、一旦バンドから離れ、今までやってきたクラシックも見つめなおす機会を作り、自身のソロのアルバムを完成させた。積極的な宣伝はしなかったが、ライブのお客様に楽しんでもらいながら広がっていき、曲がCMや航空会社の機内で使用され、自分の存在意義を感じる。コード(和音)は独学で勉強。通常、バイオリンは単音なのでメロディを弾き、ピアノが伴奏。コードの構成音を勉強したら、「このコード進行の流れがあるから、メロディとからんで美しく聞こえる。」と理解も出来、作曲もスムーズにできるようになってきた。ピアノを弾きながら真っ白な五線譜にコードを決めてメロディを書く。クラシックで作曲と言えば、細かい所まで全パート書かないといけないと思っていたが、軽音楽バンドだとコードを付けたら、各パートのミュージシャンはそれに合わせ、好きに演奏を始める。それってラクだな。コードとメロディさえあれば、バンドメンバーにセンスの良い、経験あるミュージシャンがいれば、自分が頭で思い描いた以上にやってくれる。真っ白い紙から、そこに音をのせたり、コードをのせたり、自分自身の中から、今までの経験が出て来て音になる過程がすごく楽しい。お客様からも「あの曲がすごく好き。」「元気がもらえる」と言われると嬉しい。ポップスのミュージシャンは自分の作った曲でたくさんのそういう経験をしていると思う。しかし、それを味わうクラシックの弦楽器奏者は少ない。既成の曲ではなく、ゼロから自分が創り出した音楽を誰かに聴いてもらえるのは未知の世界なので、ワクワクすることが多い。

目指すもの

クラシックの世界では小さい頃に周りよりも楽器が弾けると、厳しい大人たちの中でピリピリしながらコンテストに出場するイメージがある。大人になって趣味で始めたギターの楽しさと比べると、「小さい頃からギターをやっていたら、かなり上達していただろう。」と空想する。音楽を楽しそうに表現している人は羨ましい。クラシックのバイオリンもそういう感覚で弾けると一番良いと思う。ロックバンドやシンガーソングライターなど、思いきり自分を表現している人。まわりに何と言われようと意志や確信を持って表現している人を見ていると勉強になる。こういうのをバイオリンで出来るよう目指している。心から弾くことを楽しみながら、お客様とのやり取りを楽しみたい。他の楽器の演奏者と比べると、バイオリンは構えた瞬間にニコニコしながら弾くのは難しい。でもパフォーマーとして、難しい顔をして弾くよりも、楽しそうに自分の曲を確信を持って表現している人がいたら、お客様と近くなれる。バイオリンのあるべき姿は、もっと皆と近い距離にある楽器として存在することだと思う。「どんなジャンルでも、本気を出せば、何でも楽しくやれる」という信念がある。またクラシックでは芸術家と表現するが、自分はアーティストと言われる方が好き。アーティストは音楽だけではなく、その人自身の魅力があるかどうかが問われると思う。その人自身が作品のように、演奏スタイル、恰好、トータルでの表現を大事にしている。

考え方の変化

音楽一筋かと思いきや、小さい頃からサッカーやバドミントンなどスポーツに親しみ、身体を動かすのが大好き。手の怪我など心配した事などないほど。最近はフルマラソンにもチャレンジ。釣り好きで、交友関係も広い。また演奏の時など、お客様だけではなく、音響、照明、会場スタッフの方に喜んでもらいたいと考えている。陰で支える立場の方もそれぞれの人生があるし、その中に音楽があるかもしれない。「この人が好きな音楽はどれだろう?」自分なりに選曲し、JPOPを演奏する事もある。時にはホールのウェイターから「あの曲がとても良かった!バイオリンでもあんな曲弾けるんですね!」と感想を言われると嬉しくなる。多くの人が皆、ハッピーになれたらと思う。最近、日常の当たり前のことに感謝するようになってきた。雨風しのげる家があるとか、うだるような暑い日に涼める場所があるとか、、、そういう余裕のある条件が整わないと、人は音楽を聴きたいと思わない。つまり音楽があると言うのは豊かな証拠だし、豊かな生活に心の豊かさがプラスされるともっと幸せになれるというので音楽があると思う。そもそも人間が機能しているというのは、スゴイことで、食べたら胃に入って消化するとか、、、綺麗だと自分が思うメロディを良い音で伝えたりすると、脳がフワっとするだろうし。音楽に関する他人への固定観念が無くなってきて、自分が真摯に音楽と向き合って、これを伝えたいと純粋な気持ちで演奏すれば少なくとも嫌な顔をする人はいないと思う。また夏の暑い日に、バスや電車を乗り継いで演奏を聴きに来てくれた方々に、演奏する前に既に感動する。そのお客様が「来て良かった!」と幸せにしたいという思いがチカラになっている。上手に弾こうとか出し切ろうという余計な考えが無くなってきた。きっかけは2011年の東日本大震災。災害はどんなに頑張った生き方をしてもどうしようも出来ない。この時、夢半ばにして亡くなった子供たちがたくさんいた。現地にも出向いたが、生きてるんだったら、夢や目標を持って、叶えるように努力すれば必ず叶えることが出来ると思う。生きていることも、当たり前じゃない。徐々にそういう気持ちになってきた。今、思っていることを貫けば良い。人の心に寄り添える良い曲を作って、その為にやるべきことがたくさんあって、それを毎日こなしていく。そもそも家がある事自体が奇跡的な事だから、そこに感謝しながら、1つ1つ積み重ねていく感覚になってから、ちょっとやそっとの事ではブレなくなった。

様々なジャンル

学生時代はポップスのバイオリンはそう難しくなく、クラシックを挫折した人がやる事と思っていた。今は全く違うと思う。ポップスの方がテレビのショーなど華やかな見せ方は難しいし、音の出し方も全く違うと同時にルールもある。ジャンルは関係ない。そして、音楽に携わっている人よりも一般の人の方が圧倒的に人口は多い。一般の人に興味を持ってもらうには、クラシックは集客が難しい。よほど好きな人以外はバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンよりも、バンドや好きなアーティストのコンサートへ行くと思う。ただ、葉加瀬太郎さんや宮本笑里さん等がバンドの中でバイオリンを演奏することによって、バイオリンの可能性や魅力を多くの人に知ってもらう機会を作って、イメージを変えることになる。それでクラシックファンは増えないが、自分の個人のファンを増やして、個人が認知されるようになり、所属するクラシックのオーケストラの演奏も1つのきっかけとして、「クラシックはそう好きでもないけど、あなたが出るんだったら行く」となり、クラシックの魅力に気づいてもらえればと思う。

オリジナルCDについて

2017年12月26日発売のMINI アルバム「The Peaceful Breeze」。ピアノ、バイオリン、パーカッション。ギターは自身で演奏し、後から重ねた。ジャケットは毎回自作のジオラマ(背景画の前に立体画像を置き、現実の光景のように作ったもの)を撮影したもの。こだわりの自信作。曲も、ジャケットも全て自分が表現したコンパクトな作品というのが好き。クラシックの弦楽奏者は生音の演奏なので普通はエンジニアに縁がない。しかし、自分はCDを作るのに、スタジオを調べたり、どの制作会社やどのエンジニアとやろうかなど、他の弦楽奏者ではできない事を体験できているのがまた喜びでもある。CDは年1回ペースで出していきたい。定期的に四国など遠方へも行くことが多いが、お土産のように新しいCDを持参すると喜んで待っててくれる人たちがいる。

毎回CDを作った時に、(その時は本気だけど)次回はもっと納得いく物を作ろうと思う。そして、多くの人にもっと演奏を聴いてほしい。動画やPVを作ってSNSに投稿することで、例えば入院中だったり、遠くに住んでいて会場に来られない人などにも聴いてもらい「コンサートに行った気持ちになった。」と言われると嬉しい。本来、記録された過去の演奏を聴くのは反省ばかりして好きではない。その気持ちを割り切り、他人は完璧な演奏を期待するのではなく、音や曲を好きだったりするから、自分の為だけではなく、人の為にもなるなら、発信した方が良いなと。やってみると反応もあり、ステージでの曲のリクエストがあったり、憧れのミュージシャンである葉加瀬太郎さんや古澤巌さんと共演が出来て、間近で楽しくやっている様子が感じられたり。彼らとは同じ人間だから基本は変わらない。ただ、積み上げたものや経験が違う。極端な話、お金よりも経験の方が大事で、それによって磨かれていく表現がある。これからまた経験を重ねることで考え方が変わっていくだろう。そうなった時の自分はどんな演奏が出来るのか楽しみである。基本的に楽しくやらないと伸びないので、どうやったら楽しく出来るかと試行錯誤している。一度きりの人生なので、可能であればオリジナルの作曲に打ち込んでいきたい思いもある。今後も色々なジャンルもやる予定だが、クラシックからは離れられない。バッハの曲は一生勉強していく。野球選手の素振りのように毎日バッハの無伴奏組曲を演奏して曲も作る。

終わりに

外見の好印象から期待を裏切らないキャラクター。多くのコト、モノに感謝しつつ、出会う全ての人に優しさを表現する。そして「自身にも周りにも楽しさを届ける」使命を携えている、、、そんな気にさせられるバイオリニスト中西弾さんとの時間だった。

文:MARI OKUSU 2018.8.18掲載