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第36回

ひとSTORY

智子さん(作曲家・シンガーソングライター)

智子さん(作曲家・シンガーソングライター) 智子さん(作曲家・シンガーソングライター)

30年を超える専業主婦の経験を武器に、共感ソングで人を惹きつける智子さん。人とは違う音楽との関係もオリジナリティとして、詞やメロディーに反映されている。今回は智子さんと、ご主人でプロデューサーの秋吉圭介さんに同席していただいてのインタビュー。

音楽との出会い

鹿児島市内の天文館の近くで生まれ育つ。音楽を聴く習慣のない家だったのもあり、ラジオかテレビで歌謡曲を聴くことが多かった。当時流行の洋楽もビートルズかカーペンターズくらいを聴く程度。4歳上の姉のクラシックギターは、いつしか自分専用として使えるようになり、家にあった演歌の教則本「古賀政男全集」を使って、中学2年頃からギターを弾いていた。三軒隣のギター教室で高校1年からレッスンを受けるが、指練習のスケールを延々と弾くのが退屈で、2年程して止めてしまう。当時の人気芸能雑誌(明星、平凡)の付録の歌本でコードを覚え、五輪真弓や荒井由実(現・松任谷由実)の曲を弾いては部屋で歌った。人前で演奏する事はなく、1人で楽しみ、たまに姉を誘って、シモンズ(女性デュオ)の曲を歌うことはあった。

初めての作曲

18歳の時、姉からこう言われた。「ポピュラーソングコンテスト(YAMAHA主催の通称POPCON)の鹿児島地区大会を見に行ったら、ギターを弾いて歌を歌っていて、あなたと大差なかったから、応募してみたら?ただ自分で作った曲じゃないといけないらしいよ。」話を聞いて、早速生まれて初めて作曲し、応募。審査員からは声が面白いと評され、福岡で行われるボイスレッスンに呼ばれ、「オリジナル曲を頑張って作っていきましょう」とも言われた。まずは譜面応募の曲を歌うシンガーとして選ばれ、その後自らの曲でと九州大会には第10~15回まで合計6回、アマチュア時代の長渕剛、チャゲ&飛鳥、The MODSと肩を並べて出場。当時、プロの登竜門だったPOPCONだったが、プロになろうと思ったことはなく、ただ思い返してみれば、この時代は本当に青春だったと思う。

専業主婦

23歳の頃、「才能が無いから音楽はやめた方が良い」と言い放ったのは、その後結婚することとなる、秋吉圭介さん。(長渕剛、チャゲ&飛鳥を世に出した元YAMAHAの名物プロデューサー)専業主婦になってからは、娘2人と息子1人、一番上と下で10歳差の為、ずっと学生がいる状態で子育てをし、しかも夫は16年間単身赴任だった為、主婦業と子育てに忙しく、音楽からはすっかり遠のいていた。この頃から、趣味でパンを作ったり、ガーデニングを楽しむ日々を過ごすようになる。40歳になった頃、やっとクラシックギターを再び習い始める。そして、講師レベルの二人と三人でグループを組み、介護施設やイベント出演など、ちゃんとギャラをもらうような演奏活動も始めた。

作曲活動再開

ある日「ギターを教えて欲しい。」と主婦仲間に言われ、教える事に。50歳を迎えた頃、その中の1人が「聞いて!」と作った曲を持ってきた。内容があまりにも子供じみていて「それはイカン!人生の重みも何も無い!50歳になって、自分のお母さんが亡くなった年になって、鏡を見たら、お母さんに会えるような、そう言うのが嬉しいとよ。その気持ちを曲にして、私なら、こういう曲を作るよ!」と言ったのがきっかけで、それからすぐに曲が完成した。その友人が曲を聴いてすごく泣くのを見て、「歌って力があるんだ」と驚きもした。また、曲を聴かせて欲しいと別の友人達からも言われ、それがどんどん広がっていった。最初は自分発信じゃなかったものの、不思議とオリジナル曲がどんどん出来てきて、10曲を数えた頃には形にしたくなり、夫に相談。CM制作のプロを紹介してもらい、録音する段取りをつけてもらった。ギター弾き語りのシンプルな録音物の上からデジタルでドラムやピアノ、コーラスを重ね、2007年6月、記念の為に作った1枚目のアルバムCD「青春気分」完成。家のパソコンを使って複製しては友人に配り続けていると、「良いよ!面白い!」と多くの人から嬉しい感想が届いた。しかし、夫はそのアルバムを聞きたがらなかった。変な曲だったら何と言えば良いかわからないと思っての優しさから。しかし、何か月も経ち、ひょんなきっかけでアルバムを聴いてみると、想像以上に良い出来上がりだったのに驚く。

楽曲提供

それからは「福岡の面白いオバサンが歌ってる曲」を業界の方にも夫が配ってくれたのもあり、歌ってくれるミュージシャンが数人出てきた。翌年『ブラボー!』が シャンソン歌手クミコのアルバムCDに収録。その後、「青春気分」をインディーズ・レーベルより全国販売開始。同じ頃、1万2000人が集まる大阪城ホールでの「母に感謝のコンサート」で初の弾き語りデビュー。それから、やっとライブハウスでも歌ってみようという気になった。その後、毎月一回定例で六本松の「風のふくおか」でライブを開催するようになって5年になる。2009年3月、作詞作曲した『惜別の子守唄』が夏川りみのアルバムCDに収録。2010年7月セルフカバー『惜別の子守唄』をクラウンにて音楽配信開始。2012年演歌歌手ジェロのアルバムCDに自作曲『愛の花』収録。2011年8月には、まどかぴあで開催された大野城市主催「クミコ・智子ジョイント・コンサート」に出演。また、2015年には5人のオペラ歌手によるオペラユニット、LEGEND(レジェンド)のシングル『ひまわりの旅』を楽曲提供。被災地への想いを込めた一曲。

エピソード①

以前、某レコード会社の社長から「ボイトレなんて絶対しない方が良い。あなたの良さはお母さんのような素朴な感じがするところ。ギターを弾いて気もそぞろに歌うぐらいでちょうど良い。自分の歌だし、完璧に歌うのが伝わるわけじゃないんだよ。声のゆらぎが良い。」と言われた。実は「誰かが歌うサポートギタリストになりたい」と思う気持ちがずっとある。普段は自分で歌って、自分でギターを弾いているわけだが、イントロはちゃんとイントロとして、ベース音はベーシストが弾いてるかのように聴こえるのを意識していて、コードだけではなく、結構難度が高い弾き方を好む。カバーも自作の曲も自分でギターアレンジをし、こだわりのギターワークになっている。ちなみに超絶な演奏をするギタリスト笹子重治の大ファンで、耳コピーをして演奏するのが趣味でもある。

エピソード②

2008年に大阪城ホールで開催された「母に感謝のコンサート」の出演者の1人だった南こうせつは、その少し前に自身の番組でゲストのクミコが歌う『ブラボー!』を聴いた。「聴かない感じの不思議な曲だけど、チカラがあるな。誰が作った曲?」と尋ね、「福岡の主婦の人よ。」と聞いた記憶が残っていた。智子に彼は話しかけた。南「君、クミコさんに曲書いた?」智「はい。」南「君はチカラがあると思うので、今、どんどん曲が出来るでしょ?思いついたものは全部書き留めなさい!不思議なチカラがあると思うし、ずっとやっていなくても、今だ!とたくさん曲を書く人がいるけど、君はきっとそれだと思うので、頑張ってください。」と言われる。

沈黙の作曲法

某芥川賞作家が「本を殆ど読まない」とか、ジョンレノンが育児に専念した5年間、クラシックしか聴かなかったことに匹敵するだろうか?普通のミュージシャンに比べ、他人の音楽を聴く機会が極端に少ない。それなのに、150曲も作り続けられるのは「特異な体質」と圭介さんの弁。また、その作曲方法がユニークで、「音を出さない」。楽器を持たずに、パソコンの楽譜サイトを立ち上げ、黙ってパソコンの前へ座り、楽譜を作り、歌詞も曲と同時に出てくる。チョロチョロっと入力して、「はい、出来ました!」と夫に告げると、「音がしなかったけど???」「もう出来た!」頭の中では、音は鳴っていて、後でコードを付けて歌ってみる。大物ミュージシャンで「本来は鼻歌の延長で作れるのが一番良いんだ!」と断言している人もいるから、それも良いのだろう。

言いたい事

ずっと普通の主婦だけ30年やってきて作った曲なので、第一線で活躍し続ける同年代の女性歌手とは違う切り口の、一般の人の気持ちに沿った、自分にしか書けない曲だと思う。「結婚をして、子供を産んで育てて」という普通の人生を送った人が作って歌っているというのがウリ。テーマが男女の恋愛は殆どなく、親や子供、友人、亡き人を想ったり、懐かしんだりなど。同世代に限らず共感してもらえる「共感ソング」になっている。そして、最近は「涙活」で曲を聴きながら泣く人がいて、リフレッシュする人々が多いようだ。また、一度しか出会えないだろうお客様の前で演奏する機会が多いので、「シンプルでわかりやすい歌詞で、情景が浮かぶように歌うこと」を心がけているので、オリジナルの150曲のそこを聴いてもらいたい。

これから

歌を再開して10年間は「泣ける歌、沁みる歌」をやってきたけれど、これからはそれに加え、「オンナ(綾小路)きみまろ」のように中高年の方に笑っていただける歌も歌っていこうと思っている。2017年12月発売のCDシングル 「あ~五十肩」「あ~昼ごはん」は、全国から通販で販売中。そして、同じく福岡を拠点に活動しているサザンオールスターズのトリビュートバンドKAWAMURA BANDのボーカル河村和範とデュエットで、シングルCD曲「あ~お買い物」を2018年4月発売。また、本年7月に女優としてもデビュー。「海月の骨カンパニープロデュース 田崎ヒサト作・演出 おっぱい彼岸」というお芝居で書き下ろしの挿入歌を劇中でギター弾き語りにて"生歌”を披露。セリフもこなす。

終わりに

「子育てで忙しく、働きにも行けず、地域でしかコミュニティがなかったのが、歌をきっかけに、色んな方と知り合い、世界が広がったのが嬉しい。」と智子さん。そして経験を武器にする自信だけではなく、20代の時とは何十倍も変化している表現力がここに来て花開いたように感じる。大人の女性がちょっと前向きになれるような、そんな後ろ姿を智子さんは存在で見せてくれる。ちなみに、コードの付け方を音大出身の友人に「変わっている」と指摘される事もある。しかし、それに動じない。それが「オリジナリティ」を大切にする智子さんの生き方に繋がっている気がする。

文:MARI OKUSU 2018.7.13 掲載