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第★回

ひとSTORY

いわつなおこさん(アコーディオン奏者)

いわつなおこさん(アコーディオン奏者) いわつなおこさん(アコーディオン奏者)

OL時代ミュゼットにのめり込み、時を経て地球の裏側にもファンを持つミュージシャンへと転身。ご本人の想像も超える、素敵な偶然を引き寄せるアコーディオン奏者いわつなおこさんにインタビュー。
※ミュゼット=パリに移民したイタリア人の音楽

楽器について

福岡市生まれ。3歳の頃、こっそり兄のハーモニカでアニメの曲を吹いてみたら、意外に簡単に吹けたのを覚えている。幼稚園に入ってから、ピアノをスタート。福岡市立姪浜小学校を経て、私立筑紫女学園中学校へ入学し、部活動は音楽部。百科事典で美しい形状の楽器を眺める事が好きで、ピアノ以外の楽器をやりたい衝動にかられた。アコーディオンに興味を持ち始めた頃、音楽の先生がアコーディオンを練習している所に遭遇。「面白そう!!」 「アコーディオンがしたい!」 両親に伝えると、「どこに売ってるんね?」ネットも普及していない時代、電話帳で楽器店を調べ、アコーディオン専門店を見つけだし、当時24万円のアコーディオンを購入。「大学生になったら、アルバイトをして返します。」と親宛に借用書を書いた。アコーディオンを弾ける人を楽器店で紹介され、週一の教室に通う。すぐに弾けるようになったものの、教本では「大漁歌い込みの歌」など、魅力を感じる曲はほとんどなく、モチベーションは下がる一方。借用書を書いて三ヶ月程経った頃、バスケ部転部で忙しくなったのも重なり、アコーディオンから遠のく。

高校と大学時代

高校に進み、ドラムを始める。「ドラマー募集」を見つけ、パンクロックのガールズバンドに加入。ドラムが楽しくなり、ピアノは止める事にした。ある日、54,000円の中古のドラムセットを発見。「これ、買います!」と即決し、父に買ってもらった。家はマンションだったが、スタジオでたまにではなく、家でも毎日練習したいとの思いで。二年生になり、同年代の男子バンドに紅一点で加入。当時流行っていたブルーハーツなどを演奏。しかし、受験前に音楽活動は休止。西南学院大学外国語学科英語専攻入学後、博物館学芸員の資格を取るなど勉強に力を入れたかったので、音楽からは遠ざかっていった。

ミュゼットとタンゴ

卒業後は普通に就職。ある日、仕事帰りにCDショップのワールドミュージックのコーナーで「パリミュゼット アコーディオン・ド・パリ」のCDを発見。帰りの車で一曲目を聴いた瞬間、「これ、弾きたい!!こういうのを中学のあの時に弾きたかった!」 それからは楽譜を自ら書き、夢中でアコーディオンの練習を始める。仕事から帰ってからの練習がとても楽しく、一曲出来たら次の曲と独学でレパートリーを増やしていった。仕事もしていたので、「音楽のプロになりたい。これで食べていきたい!」ではなく、こんなに好きで楽しめるものに出合った自分は本当にラッキーだと感じていた。調べてみると、ミュゼットは国内では大阪が盛んで、楽譜が揃ったり、先生や教室もたくさんあった。演奏交流会に参加する為何度も通い、「大阪に住んでいたら、どれだけアコーディオンが出来ただろう。」と思いめぐらす事も。そして、独学に不安を感じ、日本アコーディオン協会から教室のリストを取り寄せ、福岡市内のある先生を訪ねてみる。演奏を聴かせた所、「君には教える事が無いから、別の先生を。」と筑後市の先生を紹介され、そこでシャンソンやタンゴと出合う。ある時、先生出演のイベントに、高齢のアルゼンチン人タンゴトリオ(ヴァイオリン・バンドネオン・ピアノ)もゲスト出演していた。その演奏は楽しく、音楽自体もミュージシャンもイキイキしていて、衝撃を感じる。1年程して、先生から「もう1人でやってみたら?」と言われる。そして、ミュゼットと出合って3年程経った頃、「音楽でやっていこう!」と生活の優先順位を変え、プロとしての活動をスタートさせる事にした。

「トリオ・ロス・ファンダンゴス」結成

人前で弾く機会がどんどん増えていき、その過程である二人と意気投合し、1999年「トリオ・ロス・ファンダンゴス」結成。ジャズやロック等を演奏するヴァイオリニスト谷本仰さん、そしてダイナミックアクション歌謡のパフォーマンスをするピアニスト秋元多恵子さんとの三人のユニット。ジャズ・ロック以外のやりたい曲を持ち寄る事になり、タンゴの曲を持参していくと、タンゴのレパートリーがどんどん増えていった。そうしている内に、東京在住で世界的に活躍する日本人ダンサー、ケンジ&リリアナと出会う事になる。

アルゼンチン、そして世界へ

何度もアルゼンチンへ行き、経験を積んでるダンサー二人だったが、2006年日本からバンドを初めて連れて行く機会に「トリオ・ロス・ファンダンゴス」に白羽の矢を立てた。アルゼンチンでは、普通のアルゼンチンタンゴのショーのダンスだけではなく、『ミロンガ』(一般の人がタンゴを踊る社交場、タンゴダンスパーティ) の文化がある。ミロンガでは皆が踊ってくれるのが良い演奏。生演奏の時間になると必ずお客は一曲目は椅子に座り、「僕らをちゃんと踊らせてくれるの?」と様子見で聴き、良いと思えば、フロアに人が出てくるというミロンガの洗礼。それまで自分達は、プロダンサーの見せるショーの用意された曲しか演奏して来なかったので、演奏がつまらなければ「帰る」「物を投げる」「電源を切る」のミロンガの噂で緊張感が走る。しかし、三人が楽譜も見ずに踊る人を見ながら嬉々として演奏する姿に、「良かったよ!」と喜んでハグしに来る人々もいて、手応えを十分に感じた。その後、出産を挟み、2011年2度目のアルゼンチンツアーでは、オフの時にミロンガへ行く事で、自分達の選曲の課題が少しわかった気がした。「ミロンガではもっと踊りやすい演奏であるべきじゃないかな?とにかくそれを探ってみよう。」と帰国後、三人で話し合う。そして、「踊ってる人はどう思っているのか?」と自分自身がタンゴを習う事をひらめいた。まさか自分が踊るとは思ってはいなかったが、思いの外すごく楽しくハマってしまう。2013年のアルゼンチンツアーでは、現地のミロンガでは今まで以上に楽しめる自分になっていて、その後、他の二人も踊りを始め、そうすると、格段に演奏が変わってきた。メンバー全員、普段から踊っているタンゴバンドは日本ではあまりいないはず。その為か全国で踊りやすいバンドと評判になり、関東、関西のタンゴフェスティバル出演のオファーが殺到。2014年には、中国上海の国際タンゴフェスティバルに呼ばれたり、2015年11月初のヨーロッパ・ルクセンブルグ、ウィーン公演。ブエノスアイレス(アルゼンチンの首都)では熱狂的に喜んで待ってくれている人々もいる。ちなみに当初、ファンダンゴとは「ドンチャン騒ぎ」という意味で名付けたが、ブエノスアイレスのスラング(俗語)では「貧しい民衆が夜通し熱狂的に踊りまくるパーティの事」だとラジオ出演の際、現地のパーソナリティのタンゴ博士のおじいさんから教わった。「ミロンガで皆を熱狂的に踊らせるバンド」という今の自分達にピッタリな名前だったんだと鳥肌が立った。

小松亮太さんとの出会い

これまでのアコーディオン人生は先生がいないなりに、自分で楽譜を書いて、自分で進化を遂げ、タンゴバンドとしても、先輩バンドが近くにいなかったので、試行錯誤ワイワイ言いながら作り上げたり、勉強したり、独自の進化を遂げた事が結果的に良かったように思う。また他人のバンドの演奏を見る事で自分達の姿が見えてくる。自分達はもっと下手だが、他にはない物を持っていると自負している。それが関東の人に鮮烈に映ったようだ。初の東京ツアーの時、バンドネオン奏者小松亮太さんがいきなり話しかけてきた。「ファンダンゴスはどこの国の人達なのかと気になっていたけど、すごく良かったので話を聞きたい。」翌日会う事になり、質問攻めにあう。(小)「まず聞きたいのは、この三人はどうやって出会ったんですか?」(フ)「三人で何となく楽しかったから。それぞれタンゴだけやってきたワケでは無くて、ミュゼットとか・・・」(小)「だから良いんですよ。そうやって、それぞれ違う物を持ち寄ってるのか!」タンゴ自体がヨーロッパからの移民が持ってきた音楽と黒人のリズムと土着の雰囲気等が混ざって出来た物。たぶんジャズ、ボサノバ、南米の音楽とかもそうで、移民が来る事で新しい音楽が出来た背景とファンダンゴスのベースになってる物に似通ってる部分があるのかもしれない。これをきっかけに、バンドとして、2009年2010年と小松さんのコンサートにゲスト出演し、メンバーの谷本仰さんは小松亮太オルケスタの第二ヴァイオリンとしてツアーに参加する事もある。

アコーディオンについて

アコーディオンは【自分でメロディを弾けて、伴奏も弾けて、かつ持ち運びもできる他にそうはない楽器】 もっと流行っても良い素敵な楽器で、もっとアコーディオンの楽しさが伝わったら良いと思いながら、活動している。福岡、北九州、宮崎では定期的にアコーディオン教室『ジャバラ倶楽部』を主宰。レッスンでは身体の使い方、音の楽しみ方、人前で弾く時の楽しみ方などを自分の経験を通して伝えている。また、ミュゼット、タンゴ以外にもシャンソン、フォルクローレ、ラテン、フォーク、クラシック、演歌など、さまざまなジャンルのアーティストとの共演やレコーディングの経験も持つ。

これから

「楽しい!!」という方向で何でもやってきた。大きなライブとしては、ダンサー、ケンジ&リリアナとのタンゴショー「タンゴの節句」ツアーは2002年より毎年恒例で好評を博している。CDはソロ等3枚、「トリオ・ロス・ファンダンゴス」名義で6枚をリリース。5度目のアルゼンチンツアーも近々予定されている。これらの事を継続していきながら、目下、スペイン語も勉強中。コミュニケーションの質を上げ、音楽に反映させていく予定。

終わりに

話を聞いている間、「セレンディピティ(幸せな偶然)」という言葉が何度もよぎった。ただ運が良いだけではない、日頃の情熱と努力、ひたむきさが偶然の形を借りてご褒美をもたらす、それがいわつなおこさんの音楽人生のように感じた。

文:MARI OKUSU 2017.9.23掲載