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第★回

ひとSTORY

高尾和行さん(ミサンガ、gt.&cho.)

高尾和行さん(ミサンガ、gt.&cho.) 高尾和行さん(ミサンガ、gt.&cho.)

三人組POPSユニット“ミサンガ”。「基本の活動は九州」と決めてスタート。
2009年NHKトンコツTV(九州沖縄の若手アーティストを応援する番組)グランプリ受賞。当時、何度も繰り返し流れるVTRで多くの世代が彼らを知った。

今回はミサンガのリーダー、カズこと高尾和行さんにインタビュー。

サッカー少年

小学生の時から考えるのはサッカーの事ばかり。ちょうどJリーグがスタートした頃。今も昔も三浦知良ファン。近所の子供を集めて空き地でサッカーをしていたが、親のススメで小4の時サッカークラブに入る。

音楽との出会い

小学校時代は音楽の授業は大嫌い。合唱でも人前で歌ったり、リコーダーを吹いたりするのは恥ずかしかった。しかし、中学生になって、姉から借りた「ゆず」のCDを聴いた瞬間「めちゃカッコイイ!」と心を揺さぶられる。同じ頃、友達から、「お前も買えよ!」と無理やりギターを買わされた。それ以降、自分の部屋に人が集まり、仲間を先生にギターの腕を磨いていった。

高校時代

<福岡県立光陵高等学校(福津市)入学。そして、サッカー部に入部。間もなく練習中に骨折。半年後の練習を再開した日、同じ箇所を再び骨折。プロを夢見ていたものの「完治二年の診断」でサッカーの道は断たれた。かなり落ち込むが、気を紛らわせるかのように中高の友達が集まり、家や外で歌って過ごす。外と言ってもいわゆる路上ライブではなく、人に聞かれるのは恥ずかしいので、車も通らない山奥のダムで、大きなステージのイメージで皆でギターを弾いて歌った。ある日、同級生の高島直也(ナオヤ)がギターを弾いていると噂を耳にする。どちらからともなく、文化祭に一緒に出る約束をする。しかし、ナオヤ所属のバレー部の県大会が同日に決まり、二人で文化祭に出る夢は儚く消えた。せっかくなので、カズは一人でオーディションに挑み、当日を迎える。出店の為、クラスメートの応援はゼロ。アウェイの中で緊張したものの、音楽で初めて浴びる自分への拍手や先生からの称賛の言葉が嬉しく、ハマっていくのを感じた。その後高3になり、ナオヤを含む三人で赤間駅前で路上ライブをし、ハモリ上手なナオヤに感心した記憶がある。

大学入学

九州産業大学入学。アコースティックギター同好会のサークルに入り、同じく入学したナオヤと二人の活動も開始。高校までは、ゆずやミスターチルドレンなどを聴いていたが、先輩達の影響で他のポップスや洋楽も聴き始める。大学時代は毎日屋上や廊下でもギターを弾いて、楽しむ事ばかりしていた。6畳の部室に入学当時は100人超の部員がいたが、最終的に残った同期は10人だけ。その中に歌の上手い長崎出身の佐藤裕亮(ユウスケ)もいた。彼は高校時代、長崎駅前で路上ライブの経験を積んでいた実力派だった。

“ミサンガ”誕生!

大学2~3年と、ナオヤとライブハウスの出演を重ねる度に、「もっとボーカルを強化したい!」と話し合うことが多くなる。当時一人で活動していたユウスケは部室に籠ってジャンベ(西アフリカの太鼓)を叩きながら、自分の曲をレコ―ディングする日々。ある時、二人の練習にユウスケも参加してもらい、あまりに楽しいので、「三人でライブハウスへ出よう!」とユニット名を考える事に。結局、ユウスケのヒラメキで「“ミサンガ”(手首に巻き付ける刺繍糸のお守り)」とJリーグ世代の三人ならではのピッタリの名前に決定。大学4年の夏だった。

「“ミサンガ”結成=プロを目指す」を意味した。この準備は春頃から始まっていて、まずはナオヤを説得し、ライブを見に来たユウスケをファミレスに連れて行き、「飯おごるけん、入ってくれんか?」とユウスケを誘った。大学4年の微妙な時期。自分達も不安を抱えながら、何度も話し合いを重ね、前を向いていく事を決め、反対していた親も最終的には説得した。三人で出会って4年目。少し遅い気もするが、3人でずっとやれているのは、ミュージシャン仲間とか仕事仲間ではなく、根底が友だちから始まっているので、いまだに何かあったら相談し、音楽の時は音楽。でも休日にも三人で一緒に遊びに行くのはその大事な期間があるからだと思う。

“ミサンガ” デビュー!

結成して半年後、オーディション(YAMAHA主催第1回ミュージックレボリューション)に応募。地区大会、九州ファイナルとグランプリを獲得し、全国大会へ進んだ。結果はグランプリの次点の奨励賞受賞。お陰で両親も安堵し、心から応援してくれるようになる。この受賞で新しい場所で歌う機会も増えた。その後、“ミサンガ”の名前を広める為にオーディションを受け続け、ファイナルに進むものの、いつもグランプリにはあと一歩。しかし、ついに2009年春、NHKのオーディション番組“トンコツTV”にて“ミサンガ”として初のグランプリ受賞。同年夏、西日本新聞社の音楽レーベル(NNP)から初シングル「Believe in myself」発売。タイトル曲は「金鷲旗・玉竜旗 高校柔剣道全国大会」のテーマソングに採用された。その頃はまだ「人を楽しませたい!」と口では言っていたものの、「音楽をやっていることが楽しい!」だけで、実際にはそこまで至っていなかった。2枚目シングル「ありがとう」を発売した後、一旦契約終了。その後は自力で進む環境になる。「どうやって行ったら良いのか・・・」現実と夢のギャップに悩む事もあった。

歌詞

当時、曲作りは三人それぞれ作ったり、歌詞と曲を作り合ったり。しかし、プロデューサーからダメ出しされる事も。「どうやったら自分達の音楽が届くのか?自分達が何を歌いたいのか?どういう方向へ進んで行ったら良いのか?」と模索して三人で話し合い、ぶつかる事も度々あった。相手の気持ちも考えずに自分達の事ばかり一方的に歌っていたような歌詞が多かった気がする。変わったきっかけは、2011年東日本大震災。衝撃を受け、何も出来ない無力さを感じる。そこで初めて、「自分達の現実とは違うものを歌詞として書く」事が出来た。その時に作った曲「この地球で」をシングルリリース。そこから歌詞をさらに考えて作るようになり、「『聴き手がどう感じるか』」を一番大事に作り上げないといけない」といきつく。そして、好きなミュージシャンのルーツを探ったり、色んな曲を聴き始める。三人にヒットしたのが“フォークソング”。フォークソングのカバーをする事であらためて歌詞の良さや深さを確認したり、学ぶ事が出来た。2013年に村下孝蔵さんの“初恋”のカバー曲をCDに収録。自分は特に本を読んだり、映画を見たり、松本隆さん等の曲の歌詞を見たり、そして自分の昔の歌詞を振り返る。昔、プロデューサーから「歌詞がちょっとね~」と言われた曲、言われなかった曲。何が違うのか?その違いがだんだんとわかってきた。2015年は戦後70年だったが、その数年前から、戦争の本を読んだり、映画を見る機会が増えた。家族の写真を手に握りしめて亡くなられた兵士が何人もいた事実なども知る。戦争は自分にとって未体験のものだが、その時に感じた事を歌にしたい思いが込み上げてきて、戦争がテーマの「アゲハ」を作詞、ユウスケが曲をつけた。長崎出身のユウスケは小さい頃から戦争について学ぶ機会が多かったので、戦争をテーマにする事を最初は反対したが、カズ自身二人に想いを伝え、メンバー全員で祖父母の体験談を聞くなど戦争について学んだ事を共有し合い、3人でこの曲をちゃんと歌っていこうと覚悟を決めた。(2015年7月2ndアルバム「ageha」に収録)これをきっかけに歌詞を書く理想が出来上がる。自分が経験した事のないようなストーリーを書く事で、聴き手がその映像を見られる。そこにある感情に入り込める。1曲聴く事で、現実ではない別の世界に入り込むような小説みたいな曲を書きたい。今の自分の中のテーマ。今、作詞がとても楽しくなってきた。

CD「はじめまして、ばぁちゃん。」

NEWシングル「はじめまして、ばぁちゃん。」は2017年9月6日発売予定。今回はカズの90歳の祖母に向けた歌。祖母は20年ほど前から認知症で、身体は元気だが孫である自分の事はわからない。米寿のお祝いに祖母への手紙を書くよう両親から依頼がきた。手紙よりどうせならと作った祖母へ向けた曲を披露すると、集まった親戚は涙した。メンバーにも聴かせてみると、「この曲って、今、同じように思っている人もいるかもね。」とメロディーをユウスケも考えてくれて、シングルリリース決定。今までは色んな人へ向けての曲だったが、1人に対して歌うことは今回が初めて。共感してくれる人がいるのも発見。ライブで涙してくれる人もいる。もっと多くの人にこの曲を届けたい。

これから

2010年頃に縁があって、中国上海市での野外ライブに出演。言葉も通じない600名ほどの観客の反応は良く、中国人と通じ合えたと手応えを感じた。また機会があれば、海外でも演奏してみたい。ベースの活動は九州と決めてスタートした“ミサンガ”だが、(国内では初めて)九州以外のライブを2017年7月に広島で開催。将来は全国ツアーも考えている。そして、“ミサンガ”の最終目標は「メンバー変わる事なく、じいさんになっても3人で歌っていく事!」

終わりに

結成10年の“ミサンガ”は色んな経験を重ね、もがいて成長した事で、今までのファンに加え、新たなファンも誕生しそうな予感。以前、ボーカルのユースケは他の二人の第一印象を聞かれた時、「真面目さ」と答えたそうだ。楽しく、元気なだけじゃない、色んな魅力を兼ね備えた“ミサンガ” のライブ、ぜひ足を運んでみて欲しい。

文:MARI OKUSU 2017.8.3掲載

ミサンガプロフィール(補足)

2010年 NNPから2枚目のシングル「ありがとう」発売。2000枚完売。
※現在もNBC長崎放送「ラジオ朝刊 おはようラジオ!」のエンディング曲。
2012年 キャナルシティ博多×よか音Presents新人発掘プロジェクト「FUKUOKA Music Factory」グランプリ受賞。
2013年 自主制作の1st album「平成フォーク団」をリリースし、初の九州ワンマンツアーを敢行。
同年、鹿児島県いちき串木野市観光大使に就任。
2014年 エフエム諫早でレギュラーラジオ番組「ミサンガのよかとこ」スタート。
2015年 鹿児島天文館「なや通り」の公式テーマソングを制作。
第一交通産業のテレビCMに出演、BGMに「輝く星達へ」採用。
2016年夏、ニューシングル「Summer Love」をリリース。福岡県福津市の海岸にて初の野外ワンマンライブを成功させる。
同年、結成10周年を記念して博多市民センターホールにてMISANGA 10th ANNIVERSARY ONE MAN LIVE を開催し、初のベストアルバム「THE BEST」をリリース。
現在九州各地のイベントや地域の催し物まで幅広くライブ展開中!