音ナビ隊トップ > ひとSTORY > 橋口武史さん(クラシックギター)

第22回

ひとSTORY

橋口武史さん(クラシックギター)

橋口武史さん(クラシックギター) 橋口武史さん(クラシックギター)

自然を意識しながら弾いていると仰るように、包み込むようなギターの音色を奏でる橋口武史さん。「自分はギターを弾かせてもらっている」と日本人らしい謙虚な精神をお持ちの橋口さんは、幼い頃からギタリストとして頭角を現し、大学では心理学を専攻。 今回はふくおか音楽村初、クラシック界から橋口武史さんにインタビューさせていただいた。

生い立ち

1974年、長崎市生まれ。仕事から帰って来た父が機嫌が良いとギターを弾いていたので、「楽器は楽しい時に弾くもの」とどこかで刷り込まれている。どちらかと言うと音楽好きは母の方で、レコードの棚にはクラシックの他、同郷のさだまさしさんの物も並んでいた。幼稚園の時「太鼓のおけいこ」のレコードに合わせ、襖を叩いていた記憶もある。今、思えば、その時から既に音楽は好きだったのだろう。

楽器との出会い

小学校3年の時、学校でリコーダー(たて笛)を習う事で譜面が読めるようになった。初めての楽器を楽しんでいたが、単音しか出ないのが物足らなくなり、家にあったギターで勝手に遊ぶようになる。ギターの教則本を基に父から手ほどきも受けたが、小4のGW明けから「長崎ギター音楽院」で山下亨氏に師事する。自分の意志と言うより、親の勧めで通うになったようなものだが、週に3~4曲とどんどん教えてもらい、練習して行くと褒められるのも嬉しく、週一回のレッスンを楽しむようになる。「この子には素質がある。」山下先生は当初からそう感じていたようだ。

聴いてもらうチャンス

「長崎ギター音楽院」では毎月1回「サロンコンサート」のタイトルで生徒の発表会を開催。習い始めて3ケ月目にコンサート初出演。年に二回開催される千人規模の(現在第93回を数える)定期演奏会も最初は子供の合奏の1人としてその年末に出演。「人前で弾く為に練習している」と言う自覚は始めた頃から既にあった。サロンコンサート後は毎回先生から1人ずつ講評が行われ、「何て言われるんだろう。」とドキドキしながらその時を待った。毎月の事なので、練習が上手く出来ていない事もあったし、高校生くらいになると勉強も忙しい為、不本意な事も多くなったが、余程の事が無い限り演奏会には毎月参加した。「誰かに聴いてもらう事が音楽の最終的な形」だと思うので、月に1度「聴いてもらうチャンス」があったのは貴重だったと今でも感謝している。

将来の夢

小学校6年の時に九州ギター音楽コンクールで優勝し、将来の夢として、ギタリストになる事を決意。ギターと言うと世間ではフォークギター、エレキギターの方が認知度が高く、自分のやっているクラシックギターは同級生も知らない。それが悔しくて「色んな人に知って欲しい!それなら自分が弾けば良いんだ!」と言う結論に至った。運動はあまり得意ではなかったので、ギターを弾く事で自分のアイデンティティを保っていた所もあったと思う。

受験

高校3年の夏休みまでは普通に勉強し、地元の長崎大学へ進学してギターの勉強をしようと計画していた。ところが、秋を感じるようになったある日、近所のおばさんに呼び止められる。「他の人は行きたくても行けない大学があるんだから、手加減せずにもうちょっと勉強をして、本当に行きたい大学へ行きなさい!」素直に「そんなもんか・・・」と受け止め、翌日職員室へ行き、担任に話をした。「九大を受けたいんですけど・・・」先生は間髪入れずに「どうせ、そう言ってくると思ってたよ。」それからは、授業中頻繁にあてられるようになったりと棘の道に。受験日までの半年間はさすがにギターは弾かなかった。しかし、音楽をやっていたお陰で集中力は人並み外れていたので、ラストスパートで九州大学文学部現役合格。(とは言え、元々国立大学志望と、学業と音楽が両立出来た理由を尋ねると「勉強する脳と、音楽で使う脳は違う為、両方する事でそれぞれがリフレッシュの機会となったのだと思う。」との答え。)またよく質問されるのが、「何故、音楽大学へ行かなかったのか?」それはズバリ!「ピアノが弾けなかったから。」当時、日本の音楽大学の殆どは受験でピアノの演奏が必須。クラシックギターは右手の爪を伸ばすので、ピアノは弾けない。爪を切ると言う事はギタリストにとって、廃業する事に等しいから。

大学時代

「九大へ入学し、福岡へ来た事で大きなきっかけを手にしたと思う。あのまま長崎に住んでいたら、もしかしたら行き詰っていたとも考えられる。九州の中で一番大きい街のサイズとか、かと言って大都会ではなく、自然も残っている環境で過ごせた事、そして大学で出会った友達も貴重な存在だ。

そして『人間ってどんなもんだろう?』その答えと出会うのも大学で心理学(実験心理)を専攻した1つの理由。しかし、大学の4年間位ではその答えは簡単には見つからず、『人間は複雑』とわかっただけでも行った意味があった。就職する気はなかったが、大学院進学を迷った時期はある。しかし、心理学の勉強を研究員として一生やるのは厳しいと思い、『やはり、ギターだ。』と決めた。どちらを選んでも大変な思いをするなら、音楽を選んだ方が良いと言う理由で。」

大学時代の音楽活動は第38回東京国際ギターコンクール第5位を受賞し、沖縄など各地でリサイタルを開催。大学卒業後は予定通り就職はせず、10ヶ月間親戚の家に居候。海の近くだった事もあり、波の音を聴きながら自然を満喫したのも、良い機会だった。

最終目標

結婚を機にプラスの意味で「生活の為に音楽をやる」となり、責任感も芽生えてきたと思う。その後、妻が子供を授かり、助産院で出産。「病院ではないので、医療的な事はしません。お母さんの力だけで生んでください。お母さんが健康じゃないとダメです。」と厳しく栄養指導をされる。独身時代はジャンクフードで食事を済ませるなど、メチャクチャな食生活だったので、食生活の変化は大きかった。何故なら、人間は食べる物で出来ているので、食べる物が変わると意識まで変わった気がする。自然が好きなクセに食生活に無頓着だった事にも気づかされ、人間だけが偉いのではない、人間も自然の一部だと実感した。欧米人は人間が一番と思っている人が多い。その人達が作った曲を弾いてると言うのはどうなんだろうと矛盾を感じる事もある。しかし、そうやって作られた曲を日本人の自分が自然を意識しながら弾くのも面白いと思ったりする。そう言う意味では自分で弾く曲を自分で作曲出来たらと思う。それが最終目標。

ギタリスト

憧れのギタリストは山下和仁さん。世界三主要ギターコンクールに史上最年少記録の16歳で1位になった世界で活躍する長崎在住のギタリスト。出会ったのは「長崎ギター音楽院」に入った直後、ひと回り上の和仁さんは山下先生の御子息でもあった。この方と出会わなかったら、ギタリストにならなかったと思う。奏法は真似しようとは思わなかったが、背中を追っていた時期もあった。(橋口さんは「自分は主張が強いギタリストではない。」と自己評価。)「押しつけたくない」という気持ちがどこかにあって、聴いてくれる人の気持ちが演奏にプラスされて、完成するような気がする。そして「曲を聴いて欲しい!」曲を作った人は別の人なので、その曲を自分が弾かせてもらっている。それを聴いてくださっている方へ届けている。そう言う気持ちでいつも弾いている。曲を作ってくれる人、ギターを作ってくれる人がいないと、自分は演奏できないので、たまたま自分がその時は弾いているだけ。そして「弾かせてもらっている」と言う気持ちは年々強くなってきているようだ。また「癒し」と評価される事に抵抗を感じた時もあったが、主張が強くない事でそう受け止められるのだと最近は受け入れている。究極のBGM で良いと言う気もして来た。生の演奏をコンサート会場で聴いてくだされば、それで良いのかなと思う。刺々しい世の中をコンサートの1時間半の間だけでもホッとしてもらえたらと思っている。作曲家が伝えたかったであろう事、楽譜に書いてある事を自分なりに解釈して音に変換している。

望んでいること

ギターは身近な楽器だと思う。 最近の実験によると、普段の会話をしている時と比べ、楽器を演奏している時の脳の方が何倍も働いていると結果が出ている。ピアノはもちろんだが、ギターの方が身体の近くに置いて弾くし、指先で直接触って音を出すので、脳に直接的に届くのではないかと思われる。手頃な金額で購入出来るギターもあるし、子供用のギターもある。多くの人に触れて欲しいと望んでいる。また音楽を生の演奏で楽しんでもらえる方が増えたら良いなと思う。ギターは会場が無くても演奏出来る楽器なので、そう言う機会をもっと増やしたい。海外よりも車にギターを1本載せて、日本全国を周って演奏したいとも思う。

終わりに

「音楽家になって良かったと思う 瞬間は?」最後の質問に「コンサートを聴いてくださった方が、笑顔で会場を後にしてもらっているのを見た時。そう思うと本番が終わって抜け殻のようになっていても、ロビーへ移動してご挨拶したいと思う。」と答えをもらった。 一貫して謙虚で控えめな言葉を選ぶ穏やかな橋口さん。しかし、クラシックギターに対する愛情はひしひしと伝わってくる。今までクラシックギターの生演奏を聴く機会に恵まれなかった方々にぜひコンサートへ足を運んでいただきたい。

文:MARI OKUSU 2016.1.15掲載

橋口武史 公式プロフィールより (文中補足)

フルーティスト 故吉田玉青氏とのデュオCD「ウインド&ワイヤー」をリリース
バイオリニスト太田圭亮氏と「デュオ・コルダ」、九州交響楽団首席コントラバス奏者深沢功氏と「Pilgrim」、さらに同楽団ファゴット奏者埜口浩之氏を加えた「Excel Birds」を結成。
ヴォーカリストSATOKOのファーストアルバム“hallelujah”のレコーディングに参加
デュオコルダのファーストアルバムCorda Styleをリリース

2008年、ソロアルバム「Stand Alone」をリリース
2008年、第1回ウラジオストックギターフェスティバル(ロシア)、
2009年、第2回コヤン国際ギターフェスティバル及び第2回デジョン国際ギターフェスティバル(韓国)に招聘される。
「磨き大島」などのTV CMの音楽を担当。
2011年より長崎ギターコンクールの推進委員及び審査員を務める。
2015年7月よりクロスFMのラジオ番組「虹と海のクラシック」のパーソナリティーを担当。(現在、休止中)
福岡室内楽協会会員
春日市音楽家派遣事業「音楽の玉手箱」登録音楽家

(Photo by SANAE MATSUZAKI)