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第20回

ひとSTORY

姫野ヒロユキさん

姫野ヒロユキさん 姫野ヒロユキさん

ロックバンドTHE WAGONは全国から2000組が挑んだオーディションで最優秀アーティストの栄光を掴んだ後メジャーデビュー。
シンガー、ギタリストと個人の活動もしつつ、福岡在住でありながら、作曲、編曲の作家として、映像音楽やJPOPを中心にメジャーでの楽曲提供を行う。
今回はポップ畑ロック育ちのクリエイタ―、姫野ヒロユキさんにインタビュー!

音楽との出会い

大分県日出町出身。同級生と同じくJPOPを聴いて育つ。音楽に興味を持った最初のきっかけは、中2の時出会った、父所有のビートルズのCD。JPOPと違った温かみに「カッコイイ!」と唸った。テニス部所属で音楽をやろうなんて夢にも思っていなかった頃。世の中はフォークブームで「ゆず」などがデビューしていた。「こんな簡単なのでも音楽って出来るんだ!」最初は歌う事に興味を持ち、ビートルズの“In My Life”を歌いたくて、お年玉と両親からの協力を合わせ、安いアコースティックギターを卒業間近に手に入れた。

高校時代

周りではメロコア(パンクロックの1種)が流行っていたがどうも馴染めず、行きついた所は大分市内のライブハウス。初心者から見た先輩の演奏は驚きだらけ。そう言う人をつかまえては「教えてください!」と何度も頼みこんだ。すぐに路上ライブも始め、オリジナルも演奏。 バンドもやりたいと思っていたが、田舎の高校ではメンバーを探せずにいた。

大学時代

福岡大学経済学部入学。大学生活を謳歌し、普通に就職する予定だった。音楽は太田タツヤとのアコースティックユニット“HOW”をスタート。彼は高校時代からの付き合いで、大分県で開催された音楽コンテストの優勝経験者でもある。 路上ライブをやりながら、当時薬院にあったバ―・オンザストリートへ入り浸ってはギターを弾き、歌を歌い、お客さんもついた所でワンマンライブを開催。演奏する場所も徐々に増え「イケるんじゃないか!」と言う手応えと、お客さんが喜んでくれたり、泣いてくれたりという初めての感動に「音楽をちゃんとやってみよう」と思い始める。そしてテレビ朝日系番組「ストリートファイターズ」(ストリートミュージシャンの紹介と毎月ランキングを発表)に参加。沖縄出身のHYが優勝した時、惜しくも2位に。CDを1枚発売し、それを持って九州内をライブで回った。 残念ながら翌年“HOW”は自然消滅。その後幾つかのバンドを転々とする。

THE WAGON結成

大学卒業間近に“THE WAGON”結成。当初は4ピースの洋楽指向の強いロックンロールバンドだったが、翌年にはメンバーチェンジを経て3ピースバンド編成に。23歳の時、ビクター×スペースシャワーのオーディションに出場。2000組の中から最優秀アーティストに選出され、全国ツアーを開始。最初は自分の好きな音楽を、好きな音で好きなようにプレイし、それが売れるのが最高だと思っていた。1枚目のアルバムをビクターから発売し、「もっと売れるように曲を作らないとダメだ!」と痛感。半年間の数値の目標が会社から提示された時。それまでは考えもしなかった数字の世界。「このままじゃダメだ。」と試行錯誤し始める。「こうしたいハズなのに、こんなんじゃないぞ。」葛藤もあり、曲を書く事にビビり、前のように書けなくなった時期もあった。もがいた後に原点回帰しようと2枚目のアルバムはロックンロール色の強い作品を発売するが結果は思わしくなかった。自分も納得いって、皆も納得いくような物が作れるのが最高だけど、その時の自分のレベルでは実力不足だったと振り返る。

幻の3枚目のアルバム

フリーになってからも自分達で全国を回った。 それまでの会場はライブハウスがほとんどで、お客さんが「きちんと聴く」環境だったが、韓国他の野外フェスに出演した時、客席が自由に聴いているのを目の当たりにし、「音楽って、ただそこにあればどうだって良いんだ。」とラクに考えられるようになる。「一生懸命やると言うのは、一生懸命聴かせる事じゃなく、曲を作ったり、練習する事が一生懸命やるって事なんだ!」と初めて気づいた。そこからまた曲が書けるようになり、レコーディング開始。しかし2年かけて15曲収めたアルバムは未完成のままお蔵入り。 「理由は演奏に納得がいかなかったから。 せっかく人がやるんだから、機械で修正せずにやりたい。ミスには良い物と良くない物があると思う。自分達にしか出来ない物を作りたい!このままで発売して、ライブしても何も変わらないだろう。誰がこれを聴いて気持ち良くなるんだろう?その前に自分が聴いて気持ち良くない物は出せない。そこにこだわりを持っていた。」

不思議な出会いと活動休止

ツアー中に大阪のライブハウスで、あるスポーツメンタルトレーナーと出会う。初対面にもかかわらず家に泊めてくれて、「ライブ見て思ったんだけど、何か悩んでるようだから聞かせてよ。」そこで本心を打ち明けた。「たぶん君は死ぬ時までずっと音楽してるんだから、とりあえずするって事だけ決めよう!そう言う事にすればそうなるし、僕もそうなったから。」 その人は27歳で脱サラし、2年後に武道館で演奏した経験もある元プロのミュージシャン。「その時の自分と同い年だから嬉しくなるね。」 と親身になってくれた。その後、他にも転機になる出来事が幾つもあり、結果的にバンド活動は休止となったが、自分達が成長しないとどうしようもない時期だった。しかし、いつかまたと再開は考えている。

作家活動

昨年オーディションを受け、東京の作家事務所と契約を結び、作家活動を始める。3日で1曲位アレンジまでやってデータを送るペース。制作活動が最近は忙しいが、自分の演奏やライブもたくさんやりたい。作るのは苦ではないが、想いがあり過ぎて自分の曲の方が作るのは難しい気がする。ただ拘りがあり過ぎてプレーヤーやスタジオミュージシャンには向いてないと自己分析。

自分と音楽

楽器は色々とこなす。一番得意なのは歌とギター。他にもベース、ドラム、ピアノetc.. バンドでやる楽器に関してオールマイティと言うのが曲作りに繋がっているようだ。 「演奏もライブするのも好きだけれど、それより《作って残る》事が快感。《形に残る》それが良いと思う。《ゼロから1になった瞬間》例えば楽譜になって、それが残る。他の人が演奏して、ニュアンスは違ったとしても同じ曲が奏でられる。《究極は自分が亡くなっても残る》そこにロマンを感じる。」そしてアナログ志向。「人がその場で演奏するのが一番感動する。曲と演奏はまた自分の中では別物。良い演奏が出来る人は良い人生を生きてるような気がする。ニュアンスが出る。この人の背景には何があるんだろうとか・・・すごく気になる。曲は曲で普遍的な物で、そこに有れば良い。」

完全と不完全

良い意味で完璧主義者。なかなか妥協を許さず、自分にOKを出せない。「曲、CDは完璧。演奏は不完全なのが完全だと思っている。不完全だから最高。人間味がある。完璧な物を目指すんじゃなくて、最終的には不完全な物の方が血液を感じたり、呼吸を感じたりの面白さがあり、長く残って聴けると自分は思う。皆でそれに向かって努力して、結果その場でその一瞬でしか表現出来ない事がステージで出来るのが良い。完璧を目指すんだけど、でも不完全でも良いやと思っている。人間味が好き。だらしない所がある人の方が良いと思うのと似ている。」

インストゥルメンタルの活動

インストゥルメンタルの2つのバンドで現在活動中。 “インダストリーズ”と“IDTR”。 基本は2人で作ってライブで演奏。録音の時はギター、ベース、ドラム、キーボードを自分1人で演奏し、プロデューサーとしての役割も担う。 バンドの時はギター2人、ピアノ、ベース、ドラムの5人 。

「音楽は大好きだけど、楽しく生きられたら、その方が良い。その為に音楽を追求していた方が楽しいと思うだけ。大きい夢は生涯で一曲は自分の納得いく曲を書きたい。これを言いたかったんだと言う言葉を残してみたい。自分が音楽をやっている理由はただの楽しみのような気もする。 演奏者としては好きな曲を好きなように演奏する事。音楽に関して探究心はあって、新しい音楽を聴くと感動するし、ドキドキもする。そう言うのは一生あるだろうけど、こうなりたいとか、プレーヤーとして武道館で演奏したいと言ったような目標はない。それよりは楽しくお酒を飲んだり、美味しい物食べたり、好きな人と一緒にいたい。ミュージシャンとしては演奏は上手くなりたいし、そうなると自分の曲を表現するのにツールにもなると思う。そう言う欲求はある。単純に音楽って言うジャンルが好き。こだわりはそうなくて、自分のギターじゃなきゃダメだとかは思わない。最終的に良い結果が生まれれば良い。その為にまずは曲を作る事。次に良い演奏をする事。自分の場合は、曲を書いていて色んな楽器を触っているが、1つの楽器をずっと演奏している人に勝てるワケがない。相当練習しないと、ああ言う風に弾けないと言うのもわかる。悔しいとは思うけど、その分何が出来るかと言うと「曲」かな。20代はギターだけとか、歌だけやってみようかと思った時期もあったけれど、音楽の一部になれればそれも楽しいと思う。 自分の事をどうしたいと言うよりは歯車のような気もしている。ただ《あの人の曲じゃないとダメよね》と言われるような良い歯車になりたい。」

終わりに

「強いこだわりを持った自然体」 これがインタビュー直後の印象。最初に肩書を尋ねたら「ミュージシャン」と返って来た。「作曲家」と言うのは大逸れているらしい。しかし話していると作曲家と言う印象がどんどん強くなってきた。「福岡に根づきながら中央へ挑む」これから増えていって欲しい形を自ら実践する若き作曲家、ミュージシャン、姫野ヒロユキのこれからも期待したい。

文:MARI OKUSU 2015.5.19掲載