第10回
ひとSTORY
Meeさん(TheBashow,Vocal)
TheBashow(ザ・バショウ)のボーカルMee(ミー)さん。福岡で彼らのステージを見る事はあまり多くない。夢だけは、いつも持ち続けたい・・・・・。熱い想いを持ったMeeさんに今回はインタビューを受けていただいた。
ルーツ
生まれは鹿児島。12歳上、6歳上の兄がいる3人兄弟の末っ子。兄からビージーズやQueen、カーペンターズにブルース・リーetcを教え込まれ、小学校は山に川に海に恵まれた田舎町の学校へ。
音楽との出会い
田舎町に生まれ育ったことが、かっこ悪い、悔しい、と子供ながらに感じていた。小学生の頃に観ていた80'sのMTV(Best Hit USA)の華やかさがカッコよく映り、都会に憧れる。(今でこそ故郷がある喜び、ありがたさを痛感している。)小学生の時に次兄が通販で買ったギターをこっそり みよう見まねで弾いていた。「俺もいつかこうなる!」とその時決断。中学は鹿児島市内の私立中学へ。寮に入り親元を離れた。そして中2の時、友達何人かでバンドをする事に。ベース担当をめぐってジャンケン勝負。負けた為ギターに。弾き方を教えてくれる人が誰もいず、チューニングさえわからなかった。NHKのギター講座を見て勉強。その頃、簡単かも! と言う理由でT-REX、The Carsなどの洋楽をコピー(簡単なわけがなかった)。他にはThe Beatlesやハードロックも弾けなくてもチャレンジ。ギターとボーカルどちらが良いか見極める為に歌も歌ってみた。
高校時代
高校入学後は、合格という約束を果たしたのでそれ以降は勉強はほとんどしなかった。ギターや歌うばかりの毎日。鹿児島は当時ライブハウスがほとんどなく、天文館のフィリピンパブ等が日曜日に利用できたので、他のバンドも集めてLIVEを自分で主催したり、参加したり。YAMAHA主催のティーンズミュージックフェスティバルにも出場。南九州ブロックでオリジナル曲で優勝し、全国大会に進み、結構自信を持っていた。高校3年の時は音楽しかせず、1人暮らしのアパートは、バンド仲間や友人の溜まり場になっていた。
いざ福岡へ
諸事情もあり、19才の時、北九州へ。楽器店で見つけたギタリスト募集を見て小川浩志さん(現在、西新にあるBar・ルースター・オーナー)のバンド名"TURKEY"に加入。(メンバー:Hiroyuki, ShimoKen, Furue, Mineyan) CDを作り全国を回った。24歳までは北九州にいたが、その後人生の転機もあり脱退。
念願のメジャーデビュー
福岡のバンド“ハリウッド”がデビューし、メンバーチェンジの為、ギター担当として東京へ。(当時のメンバー:Kentaro, Kudo, Burimo) しかしメジャーとしての活動は、予想していたものよりもはるかに厳しく、自分には無理だと感じすぐに脱退し九州へUターン。1996年頃、26歳の時だった。
その後ギターを弾きたい気持ちが弱まり、ほとんど弾かないようになり、友人のバンド等でヘルプのダンサーやコーラス等を担当。誰かに何かを言われたくない。自由に音楽をしたい!何をやってもこれじゃないと思う時期がかなり続いた。言論の自由など誰からの制約もない自分のスタイルを探し、ずっと模索して苦しんでいた。そして理想の形である今のバンドへようやく辿りついて8年が経つ。
TheBashow誕生!
バンド名は世界に届くように俳人・松尾芭蕉から名前を拝借し、TheBashow(ザ・バショウ)と名づけた。
ギターのKAZさんが作ったバンドにMeeさんを誘う形で、目指す所が共鳴しTheBashowは動きだした。(他現メンバー: Bass Shun)「歌詞も最初は英語で、目指すは世界に向けて通用するバンド、世界に発信するバンド。そうじゃないと一緒にやる意味がない。日本ではなく、米国のNYや英国のロンドンのような大都市ではない所で、欧州だったらポーランドやドイツなどから発信、日本じゃないね!日本だったら福岡で良い。東京じゃなくて良い。あとは世界へ発信しよう!」
「Blues、Country、R&B、Rock'n Roll、様々な音楽を愛し、中でもBritish Rockに強い影響を受けながら、日本人独特の『間や空間』を表現しようとする詩の美学を追求し、Japanese Rockの確立を目指すバンド(公式HPより)」・・・名前だけではなくコンセプトにも芭蕉を意識したテイストが入っている。
アルバムリリース
2012年2月全国流通盤 1st Album 「TheBashow」リリース。スタジオHEACONで行われたレコーディングは1年を要した。HEACONのエンジニア石橋さんとは言い合いをしたり、途中スタジオへ全く行かない時期もあった。上手くいかない自分達が悔しくてKAZさんと男二人でXmasの日に泣いた事もある。自分がちゃんと表現できないから、人に伝えきれなかった。悔しくて自己流のトレーニングを試行錯誤してみた。そして冷静になり思いなおした。「これを超えないと、自分自身のやりたい事はできない。恐らく石橋さんは自分を悔しがって乗り越えるタイプと叱咤激励してくれたのだろう。今はとても感謝している。」
世界へ
最初からのゆるぎない目標は「世界規模」。とは言え、実現するには長い時間が必要だった。2012年8月に韓国・釜山市で開催されたインターナショナルロックフェスティバル、さらに12月には10万人規模のイベント、タイで開催されたビッグマウンテン・ミュージックフェスティバルへ参加。とうとう思い描いていた夢が歩き始めた。
これから・・・
Meeさんは言った。「まだまだこれから。いろんな意味で世界中に視線を向ける夢は持ち続けたい。我々しか持ち得ない表現方法で創り続けたい。周りの方々に支えられて、僕は音楽を続けられ、今でもステージにたつことができる。今は、NPO-asue※に携わり、福岡の若者文化を世界に躍進させるため、裏方としても奮闘している。自分がしてもらってきた事に心から感謝し、この想いをカタチとして若者たちにつなぎ、少しでも多くの若者たちに世界中で活躍してほしい。」
※ NPO-asue:アジア各国と福岡との若者文化交流を支援する非営利団体です。 ( NPO-asueホームページ:http://www.npo-asue.com/ )
終わりに
鹿児島で音楽を始めた頃と恐らく変わらないであろう、少年のような熱い想いと揺るぎないポリシーを語ってくだ さったMeeさん。これからも福岡から世界に発信し続けるTheBashow。大いに期待したい。
TheBashow PV Mustang http://youtu.be/V3kj2h9i67M
Autumn Leaves http://youtu.be/nMUTnZFJjxM
TheBashow HP http://thebashow.web.fc2.com/
文:MARI OKUSU 2013.7.10掲載