長儀貴子さん(ポップス ボーカリスト) Interview[ひとSTORY]| 福岡のライブ情報検索サイト 音ナビ隊♪

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第1回

ひとSTORY

長儀貴子さん(ポップス ボーカリスト)

長儀貴子さん 長儀貴子さん

俳優玉山鉄二さん出演、薩摩黒白波のCMで「ルンルルルンルーン♪」と名曲「マイブルーへブン」が流れている。

優しい歌声の主は、長儀貴子さん。

初舞台

長儀さんの初舞台は3歳の時、地域で開催された海水浴の小さなステージで「オバケのQ太郎」を思い切り歌った。20年後、YAMAHA主催の第29回ポピュラーソングコンテスト(POPCON)つま恋本選会で、優秀曲賞「星降る夜に会いに来て」を歌った田口貴子さんは長儀さんの旧姓。

音楽との出会い

楽器との出会いは5歳の頃、母に連れられてピアノのレッスンに。初めて見る楽譜と白鍵・黒鍵との関連性が全く理解できなかった。次のレッスンを柱にしがみついて拒み、2回めは実現する事はなかった。

本格始動

物心ついてから初めて自分から歌う場所を探した。幾つかのバンドを経てPOPCONへ出場。九州大会からリエントリー(敗者復活戦の様なもの)で全国大会への切符を手にし、優秀曲賞を獲得。受賞後の彼女に幾つも選択肢はあったが、半年後に予定されていた結婚を彼女らしく選んだ。
粕屋町立粕屋中学に入ってフォークギターを手にする。父がよく聞いていた井上陽水やユーミン等の曲を一生懸命弾いて練習した。ギターを手に歌も歌った。しかし、その場所はステージではなく、いつも自分の部屋だった。
県立福岡高校に入ってからも歌う場所は変わらず、男子クラスの美人投票で1位を獲得しても、その事に気づく事すらない少女だった。(同級生談)
西南学院大学に進学し軽音楽部へ入部。先輩から言われるがままにフラットマンドリンの練習に励む。2年経ったある日、「歌を歌いたい!」と言う衝動に駆られ、マンドリンに別れを告げた。

結婚、出産、充電期間

結婚して出産してからは、歌うのは年に一度程度。
歌いたい気持ちが薄れたのではない。
「二つの事を同時にできる器用な性格ではないから。」
そんな彼女も時々は立ち止まる事もあった。
「私の人生はこのまま終わるのだろうか?このままで良いのだろうか?」
そう言う迷いも次の瞬間には消えていた。何故なら迷いよりも子育ての楽しみの方が大きかったから。

活動再開、そしてこれから

子育てがひと段落ついた頃、LIVE活動を再開。
自主制作のCDは2枚目にあたる"AMOROSOーpiece of essenceー"を2011年9月に発売。
お料理をしたり、掃除をしたり、花を育てたり、歌を歌ったり・・・それら全てが自分。自分らしく軽やかに歌を届けたい。ただ歌も成長して進化させる事で「変わってない」とお客様に思ってもらえる。その為にも「日々、歌を磨いていく」と長儀さんは語る。
「今後、弾き語りなどの予定は?」と尋ねると「弾き語りの予定はありません。歌に集中して目の前のお客様に喜んでもらいたいから。有名になりたいと言う野望もない。ただ目の前のお客様に喜んでもらいたい。」

大きなスケジュールよりも大きな会場よりも、歌い続ける事が目標。
これからも月に一度のペースで歌声が聞ける予定。

終わりに

地に足がついた上でポジティブ。柔らかい物腰に潜んだゆるがない信念。見た目の雰囲気と違い、普段はコテコテの博多弁。お茶目な性格はfacebookの投稿でも知られている。少し深く話した事で見えてきた様々な魅力。
「目の前のお客様に喜んでもらいたい。」話の途中で何度か繰り返された。
長儀貴子さんの歌を通した「幸せオーラ」は、自身の幸せを分け与えるようなものなのだと確信した時間だった。

文:MARI OKUSU 2012.12.31掲載